法 話

精進
-怠ることなく精一杯生きる-
書き下ろし

神奈川県 ・東学寺住職  笠 龍桂

 私の名前「(りょう)(けい)」を誤って「りゅうけい」と呼ぶ人が多いのですが、正しくは「りょうけい」です。坂本(りょう)()と同じく龍を「りょう」と読ませます。
 さて、この「龍」にまつわる中国の古事に「禹門(うもん)三級(さんきゅう)の波を、(こい)が飛び越え、龍になる」という有名な話があります。
 毎春、鯉が黄河(こうが)上流の禹門(うもん)にある三段の滝登りに挑戦しますが、ほとんどの鯉は登りきれません。しかし、何度も何度も挑戦して、その三段の滝をすべて登りきる鯉は、やがて龍に変じて、次は天を目指して登っていくといいます。これを禅では「困難を乗り越えて一心に精進(しょうじん)を重ねれば、やがて龍のような素晴らしい(さと)りの境地にたどり着く」と解釈(かいしゃく)し、努力精進を推奨(すいしょう)します。
 某音楽プロデューサーが百億の財産を湯水のごとく使い、ついには借金を重ねて詐欺をはたらき逮捕されました。この人は知識はあったのですが、智慧がなかったのです。
 お釈迦様の智慧の宝庫『法句(ほっく)経』の百五十五番に「若き時、身を慎む行ないを積まず、(たから)(たくわ)えざれば、彼は亡びゆくなり。餌のなき池を守り、老いゆく白鷺のごとくに」と、青年に警鐘を鳴らしておられます。若い時に「身も口も(こころ)も謹んで精進して生きる」ことと、財産を大切にしないと、後に身を亡ぼすとの語りかけです。
 さらに、二十一番には「精進は不死への道なり、怠りは死への道なり。精進するものは生き、怠りにふけるものは死せるにひとし」と戒めておられます。お釈迦様の人生観は精進の二字に尽きると言っても過言ではありません。
 「精進」とは、ただ単なる努力することだけではなく、常に諸行無常(すべての物事は移り変わる)の(ことわり)を知って、今ここに怠ることなく精一杯に生きていくことの大切さを教えてくれる言葉でもあるのです。