法 話

徳を以てす
書き下ろし

神奈川県 ・能満寺住職  松本隆行師

 尖閣諸島の国有化に端を発し、日中間がぎくしゃくして、中国では日系企業が襲撃されました。日中国交再会の草創期、当時副首相だった鄧小平氏が来日し、松下幸之助氏に「中国の近代化を手伝ってくれないか」と頼まれ、進出した企業までもが破壊行為の対象になったのです。毛沢東革命故事「水を飲む人は井戸を掘った人の恩を忘れない」の道徳は、一体どこへ行ったのかとも報道されました。
 第二次世界大戦(日中戦争)が終わって、蒋介石総統は、中華民国を代表して「怨みを報いるに徳を以てす」と孔子の言葉を引用して、戦争の責任を問わないと言い、いっさいの賠償を放棄しました。日本の陸軍士官学校で教育を受けて、まずははじめに徳を以て迎えられたのは、実は蒋介石氏の方であり、日本に恩があることも知っていました。根本博元陸軍中将の助けや多くの日本兵の協力があって、台湾で勢力を保てたことも織り込み済みだったのでしょう。
 『論語』の原文は以下です。

  或曰、「以徳報怨如何」。子曰、「何以報徳。以直報怨、以徳報徳」。

 ある人が聞いた。「徳を以て怨みに報いるとはどういうことか」。孔子はこたえて、「それでは徳にはどうやって報いたらよいのか。率直な気持ちで怨みに報い、徳には徳で報いるようにしなければならない」と言っています。「直」と「徳」は漢字の上で凄く似ているものだという事ができます。旧字体を見れば、徳とは行人偏と直心を組み合わせた漢字だからです。
 11月は、建長寺建立を発願した開基北条時頼公の祥月(命日は22日)に当たりますが、この建長寺の開山大覚禅師(蘭渓道隆)は、当時モンゴル軍によって侵略されつつあった中国からの渡来僧でした。本格的な臨済禅が日本に伝来した草創期のギクシャクした状態を戒め、大覚禅師は遺戒五条を遺されました。「福山の各庵済洞を論ぜず和合を補弼(ほひつ)して仏祖の本宗をくらます事なかれ」と強く諭されています。その意味は、「建長寺のそれぞれの庵では、臨済宗だとか曹洞宗だとか細かいこだわりでいざこざがあってはいけない。みんなが本当に一つになることによってお釈迦様の悟りの道を誤らせないようにしなければいけません」ということでしょうか。「仏教は怨みを怨みで返すのではなくて、もう一つ大きな視野に立って物事を見るようにせよ」というのは、故・松原泰道師の法話集で塙保己一先生のお話の中の一節です。
 慌ただしさから少し離れて日頃の恨みつらみを思うときに、一切を徳に包んで、愚痴ばかりぼやかないようにしないといけませんね。結局は「徳を以てす」で足りてしまうのではないでしょうか。