法 話

自由
書き下ろし

佐賀県 ・桂雲寺住職  夏秋尚孝

 ren_2211a_link.jpg最近は英語を日本語に翻訳せず、そのまま取り入れる場合が多いですが、本格的に英語が日本に入ってきた明治時代に於いては、試行錯誤して漢字熟語を用いて翻訳されていました。
 自由という語句は、福沢諭吉がliberty(freedomという説も)を「自らをもって由となす」と訳したのがその始まりです。すなわち、自由とは、他人に与えられたものではない『自ら(の意思や考え)』を、『行動の由(理由)』とすることを意味しているといえます。パンフレットや資料、飲食店の調味料などにある「ご自由にお取り下さい」で用いられる意味です。
 
 しかし、自由という語句は元来、経典の中にあり、仏教での意味は、一切の苦楽から解放され、とらわれのない悟りの境地、というものです。我々は本来、自由であるのですが、自分や他人、周りの環境等に、とらわれ、かたより、こだわってしまい、苦しんでしまいます。臨済禅師はこれを「無縄自縛」(無いはずの縄で自分を縛ってしまう)と示されました。この状態から抜け出すためには自分自身で、「縄など無い」ことに気づかなければなりません。他人ではないはずの縄を解くことも、断ち切ることもできません。しかし、周りの方の声や行動をきっかけに気付く事ができます。

 2019年1月17日の佐賀新聞に掲載された記事からの要約です。
 Aさんは一年前まで中高一貫の進学校に通っていました。しかし、自分の理想、周囲からの期待などプレッシャーから「何もしたくない、このまま消えたい、朝が来なければ良いのに、いっそ死んでしまいたい」と思うまで、精神的に追い詰められてしまい、学校に通うことができなくなりました。そこで担任の先生の勧めから、通信制高校へ転学することにしました。同時に、家にこもりがちだったことから、家族からのアドバイスで飲食店でのアルバイトも始めました。
 以前の学校と違い、周りの目も気にする必要がなく、やるべき事も決まっていることがAさんの心を軽くし、心地の良い居場所となってくれました。またアルバイト先では多くの失敗をしてしまったけれど、「一人で頑張りすぎないで良いよ」「それくらい大丈夫」「頑張ってるね」など同僚やお客さんからの何気ない温かい言葉に支えられました。
 こうやらなければならない、こうなるはずだと思い込んでいた、自分の理想像になることができず、気力も自信も失い、死にたいとまで思っていた自分は消え、ほんの少しだけど自信とのびのびと頑張れる気力、生きる勇気を持った私、自分を好きになれる私を取り戻せました。そして最後に以前の自分のように苦しんでいる人がいれば、今度は私が温かい言葉で支えてあげたいと結んでいます。

 学歴や職業、収入、性別と世の中には様々なものが基準となります。目標や理想は持つべきものですが、ひとつの基準にとらわれ、かたより、こだわってしまうと、本来の自由を失い、苦しみを伴います。そして、もう一つ大切なことは自分勝手、ワガママと自由との違いです。前者は他人を、周りを顧みません。己の身体、感情のみの狭い世界であり、他人を害してしまう恐れがあります。後者は垣根のない広い世界であり、Aさんが最後におっしゃるように、「人を救いたい」という慈悲が伴います。仏教ではこのような自由のはたらきを自在と言い、仏・菩薩に備わる力だと説いています。
 今後とも皆様が自他共に苦しみから解放された自由を謳歌されることを祈念申し上げます。