法 話

応無所住而生其心~今を生きるためのヒント~
書き下ろし

岡山県 ・報恩寺住職  蘆田太玄

 ren_2306a_link.jpg禅の教えに「応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」という言葉があります。『金剛経』というお経に登場する一節で、「応(まさ)に住する所無くして而(しか)もその心を生ずべし」などと読み下します。「なにものにもとらわれない心で全てに当たれ」という意味です。

 例えば、修行道場では特別な法要や行事などがある場合を除けば一年をほぼ同じようなルーティンで生活をしています。修行僧に限らずとも、学生、サラリーマン、主婦、高齢者などそれぞれの立場で、「毎日が同じ事のくり返しだなぁ」と思う瞬間は誰にでもやってくるものだと思います。しかし、くり返すその一日一日が全て同じ事のくり返しかというと決してそんなことはありません。これは、私たちの頭が勝手に「毎日同じ事のくり返しだなぁ」と決めつけているに過ぎないとも言えるでしょう。
 「どこにも住しない」ということはそういった勝手な決めつけから離れていくことが重要なポイントです。花園大学の名誉学長や妙心寺派管長を務められた山田無文老師が次のような言葉を残しています。

「応無所住」、どこにも住しない、心が空っぽであって、その時に面白いと言うて笑い、悲しいと言うて泣いたら、それがそのまま仏心でなければならない。心に裏づけのない斬新な心が仏の心でなければならんのであります。そういう新しさというものが私どもの心にいつもなければならん。意識がいつも新しくなければならん。(中略)われわれの心も念々新しい心が出てまいりますならば、泣こうが怒ろうが笑おうが、これが仏の心である、仏心である。

(山田無文著『無文全集』第六巻「六祖壇経」(禅文化研究所)より)

 ポイントは「意識がいつも新しくなければならん」という部分です。漫然と日々を過ごすのではなく、常に今、目の前で起きている物事に対して新しい意識を持って向き合うことの大切さを説かれています。そしてその新しい意識からわき起こる心、これは喜怒哀楽に関係なく仏心そのものの現れであると続きます。
 ひとつ気をつけておかないといけないのは、これは「頑張らなくてはいけない」とか、「頑張らなくていい」とか、そういう次元の話ではないということです。過去や未来を気にしてあれこれ悩むことから離れた時(応無所住)に、自然と浮かび上がってくる心に目を向けてまいりましょう(而生其心)というのがこの禅語のポイントです。頑張らなければいけない理由を探すのでもなく、頑張らなくていい理由を探す訳でもありません。私たちが生きている「いま・ここ」に真剣に向き合った時に見えるものを私たちそれぞれが体験して来なさいと言うのです。

 「退屈な毎日」と思いこんでいたことも見方を変えると「かけがえのない毎日」に変わることがあります。これは日々の生活そのものが変わったのではなく、その生活を送っている私たちの心が変わったのだとも言えるでしょう。まずは日々を同じ事のくり返しと決めつけるのをやめて、新鮮な気持ちで毎日と向き合っていくことから始めてまいりましょう。