法 話

鈴木大拙の世界シリーズ〔14〕
「大拙博士と華厳思想」
書き下ろし

静岡県 ・東福寺住職  伊藤弘陽

 鈴木大拙博士の哲学や思想を考える上で、重要な経典のひとつが『華厳経(けごんきょう)』です。大拙博士の直弟子といわれる秋月龍珉(あきづきりょうみん)師は、著書の中で次のように語られています。

〈鈴木大拙〉先生は晩年いつも「わしは最後に、必ずしも伝統の祖師のそれではない、自分自身の華厳思想を、英文で書いてみたい」といわれていた。先生の禅学は、思想的に深く華厳の哲学によって基礎づけられている。〈中略〉先生自身の手で、最後の大作が世に出る日がついに来なかったことが、憾(うら)まれてならない。

『秋月龍珉著作集巻六 人類の教師・鈴木大拙』

 残念なことに、大拙博士が思い描く華厳思想の全貌を知ることはかないませんでしたが、膨大な著作の根底には華厳思想の流れが受け継がれているのです。『華厳経』は長大な経典でありますから、その思想を一口に語ることはできませんが、大拙博士の著作からその一端をご紹介したいと思います。

『華厳経』の根本的直覚は相即相入(そうそくそうにゅう)ということだとせられている。哲学的にいうと、それはヘーゲルの具体的普遍の概念に若干似通う思想である。一一の個体的実在は、それ自体でありながら、その中に普遍者を反映しており、それと同時にまたそれは他の個体の故にそれ自体なのでもある。完全な関係の体系が、個体的諸存在の中に、また個体と普遍者との間に、個物と一般概念との間に存している。相互関連のこの完全な網の目細工が大乗教哲学者の手許(てもと)で「相即相入」という術語的名称をうけたのである。(※旧字や旧仮名遣いは表記を改めました)

『鈴木大拙全集巻五 華厳の研究』

 ren_2307a_link.jpg少々難しい内容ではありますが、中国唐時代の僧、法蔵は次のように則天武后(そくてんぶこう)に説明したという逸話があります。まず四方と上下を鏡で囲まれた部屋を用意して、その中央に仏像を安置します。次に灯火でこの仏像を照らすと、その姿が周囲の鏡に反映しあいながら、重々無尽の幻想的な世界を映し出しました。それを目にした則天武后は悟るところがあったといわれています。
 鏡という道具を使うことによって、普段は目に見えない世界を目に見える形で現出させた法蔵のアイデアは『華厳経』の「相即相入」という世界観を見事に体現しました。目に見えないだけで、この世界は相互に関連し、単体で存在するものなど何もないという仏教の「諸法無我(しょほうむが)」、大拙博士の言葉でいうところの「霊性」に通じる世界を現出して見せたのです。

 コロナ禍をはじめ、政治や経済、環境など様々な社会の問題もグローバル化が進む昨今ではありますが、大拙博士の思想とその根底にある『華厳経』の世界観が現代社会にこそ必要とされるのではないでしょうか。