法 話

大切にしたい〝四十九日〟
東福寺派『恵日』第三十五号より転載

佐賀県 ・正法寺住職  矢岡究道

 ren_2403a_link.jpg『突然、息子が逝ってしまった 四十九日』という小説があります。大学でパラグライダー部に入っていた十九歳の息子を、落下事故で亡くした著者。突然の死がもたらす絶望と悲しみに打ちのめされながら、四十九日を迎えるまでの一日一日の心の葛藤や変化をつづるノンフィクション小説です。

 置き去りにされた遺族の心を、なんとかして〝置き去りにしない〟のが四十九日の中陰という期間です。中陰の間は、亡き御霊は家の軒端に留まってくださり、線香の香りはお食事にされるので絶やすことなく、花や供物はそこに居ますが如く差し上げ、お逮夜には読経を勤め、地獄の裁判官、どうかお救いください、と。亡きあとも世話のかかるものですが、故人が身近に居て、私を頼っていると信じることができます。

 そして、置き去りにしない、何よりの役目を担うのが周りの人たちです。この著者は、妻と子とお互いに毎日、心の苦しみや今の思いを語らい合いました。多くの親しい方たちからは、知ることのなかった息子の持つ優しさに気づかされました。寄り添われる温かさに感謝し、どうして、なぜ、という思いに絶望する感情のはざまで、著者は次第に自分なりの答えを見つけていきます。

「あまねく世間(せけん)を導いて 同じく菩提(ぼだい)の覚路(かくろ)に 上らんことを」

 七日ごとの供養でお唱えするご回向の一文です。「菩提」には、「悟り」や「慈悲の心」という意味があります。この一節が伝えるところは、「広く世の人々が仏の教えに導かれ、慈悲に目覚める道へと歩み上られることを願います」ということです。悲しみや苦しみを共に分かち合う人の心に、浄らかな仏の慈悲があります。故人を囲むたくさんの人たちがこの「慈悲」の道へと導かれるのが、四十九日という特別でかけがえのない期間です。大切にしたいものです。