法 話

釋宗演禅師のこころシリーズ〔12〕
「私の四弘誓願」
書き下ろし

兵庫県 ・宝林寺住職  西村古珠

1901a.jpg 明けましておめでとうございます。いよいよ5月には改元、10連休。来年は平和の祭典東京五輪。2025年には悲願の大阪万博。皆さまにとって、必ずや夢と希望に満ちた輝く未来が待っていることとお慶び申し上げます。
 それはさておき、我が宗門では、今から125年前、シカゴでの万国宗教会議で釋宗演老師が「真の宗教の目的は普遍的人類愛と永遠の世界平和の実現である」と高らかに宣言され、愛弟子の鈴木大拙居士は、世界の禅者、人類の教師として老師の精神をさらに発展させました。これこそ、現代社会の人間救済の光明として、世界の各地で称讃されている「ZEN」の根源であり、四弘誓願(しぐせいがん)の精神そのものなのではないでしょうか。

衆生は限りなけれども 誓ってみちびかんことを願う
煩悩は尽くることなけれども 誓って絶ちきらんことを願う
法門は無量なれども 誓って学ばんことを願う
仏道は極め難けれども 誓って成しとげんことを願う

 宗演老師が16歳の時、師匠の留守中に本堂の縁側でつい居眠り、戻られた師匠は、老師の足の方へ廻って「ごめんなされや」と片手で一礼して通って行かれた。それを夢うつつで見た老師は深く感じ入るものがあったそうです。いつでもどこでも誰にでも「ごめんなされや、ああ有難い、もったいない」と一礼させる心こそ、まさに仏心そのものなのではないでしょうか。

 ある日本人から「外国人に禅なんてわかりますか」と言われた大拙先生、「お前さん、わかるのか」と。また、「先生の見性とはどういうものですか」という質問には、「そうだな、衆生無辺誓願度がわしの見性だな」と。

 私事で恐縮の上に、正月早々縁起でもないと叱られそうですが、一昨年の12月、医師より「スキルス性胃ガン。リンパ節と肝臓に転移。ステージ4。放置すればあと3、4ヶ月」という診断を受けました。私は思わずひとこと「やめます」と。誤解されては困ります。「(良寛禅師の)死ぬる時には死ぬるがよかろうと言うのを、やめます」です。その後、抗ガン剤治療のため入院。夜中にひとり淋しくベッドで坐禅をしておりました。「ああ、俺ももう長くないのか。諸行無常ってこういうことだったのか。やっぱりお釈迦さまは本当のことを言ってるな。しかたがない。明日のことはわからない。でも、今は生きてる。これは絶対間違いない。じゃあ、この今日をどう生きるか」。その時、心に浮んだのは円覚寺派管長、横田南嶺老師のお言葉でした。

明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。

 私のような者が、世界平和や人間救済を弄するなどとは誠におこがましい限りですが、新春の初笑いに免じておゆるし下さい。題しまして、「私の四弘誓願」。

いろんなひとがいるけれども 今日一日 やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども 今日一日 あかるい心でいよう
この道は遠いけれども 今日一日 一歩すすもう
何があっても大丈夫 今日一日 笑顔でいよう

 おあとがよろしいようで。皆さまどうぞお元気で。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。合掌