法 話

釈宗演禅師のこころシリーズ〔18〕
「行動する禅者」
書き下ろし

東京都 ・宝泉寺住職  藤本大器

 プロフェッショナルと言われる人の中にあって、更に天才と称されるような活躍をする人がいます。芭蕉や、夏目、太宰などの文豪たち。信長ら戦国武将。最近では野球のイチロー選手や、将棋の藤井聡太七段。日本中の誰もがその活躍を知るような方たちです。禅の世界にもそう言った圧倒的な行跡を残す宗教的天才たちがいました。幼いながら清浄なる心を喝破して師をうならせた達磨大師。米つき小僧の時に悟りの境涯を明らかにした六祖慧能。風狂と言われながら生きることの素晴らしさを示した一休。近代においては、明治時代、卓越した行動力で禅の真髄を体現された釋宗演禅師もまた、その一人です。

 釈宗演禅師は明治3年に12歳で御出家、故郷若狭を出られ、各地で厳しい雲水修行の後、なんと慶應義塾大学に入学、師の今北洪川老師の厳しい反対を押し切って27歳で単身セイロン(現在のスリランカ)ヘ留学しておられます。何という行動力。貧困と孤独にあえぎながら苦学する中で当地の仏教界を見てこう述べられています。

此ノ土ノ僧ハ(中略)吾門ノ所謂無中ニ道アリ塵埃ヲ出ヅルガ如キ活境界ハ夢ニダモ知ラズ(中略)法戦場中ニ試ミントスルガ如キ気概ハ毛頭モ胸間ニ浮カビ来ラズ

(『西遊日記』)

(戒律や経典を奉じて安閑としているのみで、せっかくの仏法を生き生きと行じないで、いったいなんの意味があるのか)

 夏目漱石の代表作『門』のなかに実は宗演禅師が登場しています。実際に漱石は明治27年頃に円覚寺派管長となった宗演禅師に参禅していて、その体験に基づいて書かれたものだそうです。作中主人公宗助は、参禅の後、山を下りるときにこう述べています。

(心の)門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲(たた)いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞こえただけであった。

 ふらふらと定まらない自分の心の弱いところをグサリと刺されて、かえって宗助は生きる力を得ていくのです。一人で開けて入れ。なんと厳しく、温かい言葉でしょう。自らの足で入って歩んでこそ、意味のある人生になるということでしょう。

 冷暖自知の言葉通り、世の中は実際に自分で体験しなければわからない事だらけです。しかし現代社会の莫大な情報の中で、我々は体験もせずにあたかも色々知った気になってはいないでしょうか。私も住職になってまもなく10年、葬儀法要の多様化のなかで、寺院維持の難しさに直面し、その中で知る様々な方のお手助けに感激することもしばしばです。書物やモニターを通してでは決して得られない貴重な体験をしている真っ最中です。己の人生を切り開く本当の力は、仏法を頂き、一人自ら行動し、体験して開けて入ることでしか得られないのだ、若き宗演禅師は遠いセイロンの地で、強くそのことをお感じになられたのでは無いでしょうか。

1911a.jpg 原始経典を修めて帰国して後、管長となられた宗演禅師が世界に向けて表明された「洗練された日本の禅」は、その後も禅と共に行動し続けた御生涯そのものに表わされています。そしてその膝下から、偉大な弟子たちがたくさん続き、我々現代の禅宗徒につながっているのです。
 釈尊の御教えを、五感を総動員して観じ、それに従って自ら行なうことこそが、我々が目指す禅の生き方であります。釋宗演禅師の御生涯に触れるとき、ナカナカ天才にはなれないので、そのお姿を素直な気持ちでチョコッとでも真似てみようと思えてきます。禅の門は実は閂(かんぬき)がかかっていないのですから。