静岡県 ・東福寺住職 伊藤弘陽 |
本年は第9回目となるラグビーワールドカップが日本で開催されました。テレビで中継されたこともあってご覧になった方も多いのではないでしょうか。私は、今までラグビーのルールすら知らなかったのですが、テレビで観戦するうちにすっかり即席のラグビーファンとなってしまいました。試合の解説がとても丁寧で分かりやすかったのですが、なかでも興味深く感じられたのはノーサイドという言葉でした。 怨憎する人々に対しても、親愛する人々に対しても、差別することなく、慈悲愛護の念をもって接すること と記載されています。怨(うら)みや憎しみの対象となる「敵」であっても、親しみや愛情の対象となる「味方」であっても、仏教の根本精神である慈悲の心、仏様の眼から見ればどちらも平等にいつくしみ憐(あわ)れむべきであるというのです。対立や争いの絶えない現実を目の前にする時、絶望的と思われるかもしれませんが、最終的に目指すべき到達点は怨親平等であると仏教はいうのです。 分けると、分けられたものの間に争いの起こるのは当然だ。すなわち、力の世界がそこから開けてくる。力とは勝負である。制するか制せられるかの、二元的世界である。高い山が自分の面前に突っ立っている、そうすると、その山に登りたいとの気が動く。いろいろと工夫して、その絶頂をきわめる。そうすると、山を征服したという。〔中略〕この征服欲が力、すなわち各種のインペリアリズム(侵略主義)の実現となる。 (『新編 東洋的な見方』岩波文庫) 大拙はこの「分けて」考えることを基底にもつ西洋の思想を必ずしも否定しているわけではありませんが、長所も短所も含めて検討してみる必要があるのではないでしょうか。ラグビーは西洋発祥のスポーツではありますが、ノーサイドという言葉から東洋的な叡智、仏教の智慧を感じた次第です。 |