法 話

いつでも心にほとけさまを
書き下ろし

岡山県 ・報恩寺住職  蘆田太玄

 明けましておめでとうございます。令和初めてのお正月を無事に迎えられたことに感謝し、今年も皆様の心に残るような法話をお届けできるよう精進させていただきたく思います。

 「禅」という言葉には「心を調える」という意味があります。この心を調えるという目的に向かって私たちは日々いろいろな仏道修行をしていく訳なのですが、今回は「心が調った状態」とは何だろうか、ということについて考えていけたらと思っています。

ren_2001a_link.jpg 令和元年十月に長野県の飯田市という所へ修行道場の後輩の晋山式に伺わせていただきました。晋山式というのはお寺に新しい住職が就任する時に行なわれる式で、同じ修行道場で修行した仲間が集まり、みんなで新住職の誕生をお祝いする、とてもおめでたい行事です。当日の天気予報は残念ながら雨で、朝からしとしとと小雨の降るような空模様でした。ところが晋山式の時間が近づくにつれて雨は上がり、開式時刻の頃には晴れ間も見えるような天気まで回復しました。
 その様子を見ていた近くの檀家さんがぼそっと、「ほとけさまが見ていてくださってるんじゃな」と笑顔をうかべながら言われていたのが、何気ない風景でありながらとても印象に残っています。
 この檀家さんの心にはいつもほとけさまがいらっしゃるのだと思います。何かいいことがあった時には「ほとけさまのおかげである」と素直に手を合わせたり頭を下げることができる。逆に何か悪いことや自分にとって良くないことが降りかかってきたとしても「きっとほとけさまが見ていてくださる」と心を乱されたりすることなく泰然自若としていられる。これは日頃からの信心のたまものであろうと大いに感心させられました。

 禅の教えでは「因果一如」を説きます。原因と結果は一緒に起きているというのです。例えば、何か良いことをしたからと言って必ずそれが良い結果に結びつくとは限りません。それでもふてくされたり不平不満を言うのではなく、ただひたすらに自分の信じる善いことを積み重ねていくということに価値があるのです。これは逆もまた然りであって、悪いことをしてもそれが必ず悪い結果に結びつくとは限りません。だからといって人に隠れて悪いことをし続けていると、知らず知らずのうちに自分の心はどんどん貧しくなっていきます。

 「ほとけさまを信じる」という行ないそれ自体が何か目に見える劇的な結果をもたらすわけではありません。しかし、私たちが「今日も一日心にほとけさまを信じて穏やかに一日を終えることができた」ならば、それに勝る有り難いことは無いのではないかと思っています。目に見える対価や見返りばかりを追い求めていくのではなく、いつも心にほとけさまを信じて日々を過ごしていく。それが「心を調えていく」ということではないかと思います。この新年の節目に是非皆さんと一緒に「心にほとけさまを信じていく」事について考え、この一年をよりよく過ごしていければ何よりと思っております。
合掌