法 話

四十二章経の教えシリーズ〔1〕
「変わる世に変わらぬものを見にゃならぬ」
書き下ろし

福井県 ・円照寺住職  村上宗博

 次のように釈尊は説かれた。

天地を見て非常と想い、山や川を見て非常と想い、万物の盛んな躍動を見て非常と想い、そのことによって、執着する心をもたなければ、早いうちに悟りの境地を得るであろう。

(『四十二章経』第十六章より)

 この第十六章を読んで私は慈雲尊者著の『十善法語』にある次の言葉を思い起こしました。振り仮名以外は原典のまま掲載します。原典を読むことも大切だからです。

日月(にちげつ)星辰(せいしん)の行度(ぎょうと)を見て、古今に条理の乱れぬことを知る。山崩れ、川竭(つく)るを見て、成壊(じょうえ)の数(しゅ)あることを知る。雷(らい)震(ふる)ひ地()動くを見て、常と変と相依ることを知る。月盈(みつ)れば虧()く、物盛んなれば衰ふを見て、世相の当然を知る。鳥獣の羽毛(うぼう)具(そなわ)るを見て、此の身あれば、此の服あることを知る。蚯蚓(みみず)の土を食(じき)とし、蝶の花を吸ふを見て、此の口あれば此の食あることを知る。蜂が巣を営むを見て、此の衆あれば此の屋宅城邑(おくたくじょうは)あることを知る。蜘蛛(くも)が蜂の毒に中(あた)りて芋畑(いもばた)に走るを見て、此の病あれば此の薬あることを知る。条理の乱れぬことを知れば道を守りて疑はぬ。貧に処して富を羨まぬ、賤に処して貴を望まぬ、盈虚(えいこ)の数あることを知れば、得失是非に心を動ぜぬ。足()りて奢(おご)らぬ。闕()けて愁へぬ。常と変と相依ることを知れば、事々にふれて恐れなく。難に処して自ら安んじ、常に処して遠く慮(おもんぱか)る。世相の当然を知れば、分限を守りて過さぬ。飲食衣服(おんじきえふく)屋宅医薬の具(そなわ)ることを知れば、外事(がいじ)に使はれぬぢゃ。

(国民思想叢書 仏教編『十善法語』加藤咄堂 編/国民思想叢書刊行会 p418)

 ren_2001b_link.jpg古歌に「変わる世に変わらぬものを見にゃならぬ」とあります。
 万物は絶え間ない流転の中にあり、人間も例外ではありません。しかし人はその中にあって移ろわないものに目覚めることができる。その事実を詠んでいます。「第十六章」にしても慈雲尊者のお言葉にしてもこの一大事があるんだよ、と静かに、深く、丁寧に諭して下さっています。
 私の師も「今ここ」と題して幾度となく話された言葉があります。その内容は尊者と同様に一大事因縁があることを喚起しています。

 「いまここに在るはこの事を知らんがためなり。いまここに在るはこの事を行ぜんがためなり、いまここに在るはこの事を喜ばんがためなり」

※慈雲飲光(じうんおんこう)1718~1804 真言宗の僧。一般に慈雲尊者と呼ばれています。宗派に拘ることを避け釈尊在世の戒律を遵守するのが僧伽であることを唱えて実践しました。尊者はことのほか臨済禅師を尊崇し、臨済録、無門関など多くの禅書も提唱しています。東嶺禅師は白隠禅師の元を去った(無量寺出奔)のち、尊者に度々参じています。山岡鉄舟居士は尊者の行状を「小釈迦」として崇めています。