法 話

四十二章経の教えシリーズ〔4〕
「人生を映し出す鏡とは?」
書き下ろし

福岡県 ・乳峰寺住職  平兮正道

 禅門には「生死事大(人生は一大事である)」という言葉があります。この「人生をいかにして生きていくべきか?」ということは本当に一大事です。
「自分は一体、何のために生きているのだろうか?」
「自分の人生は、はたしてこのままでよいのだろうか?」
ということは、誰もが一度は悩むことではないでしょうか?

 お釈迦さまの時代にも、あるお弟子さんがお釈迦さまにこのように質問したことがありました。
「何によって、生きるべき道が得られ、宿命を知ることができるのでしょうか?」
 お釈迦さまは、次のように答えます。
「人生の道とは、[形]があるものではないので、これを[形]で知ろうしても無意味です。大切なことは、志を固く守って修行していくことです。譬(たと)えて言えば、それは鏡を磨いて汚れを取るようなものです。鏡にもとの輝きが甦れば、そこに自ずからものの[形]が映し出されます。それと同じように、欲を取り除き、執着をすっかり捨てることができたならば、生きるべき道も宿命も知ることが出来るでしょう」


(『四十二章経』より)


ren_2003b_link.jpg 人生の道とは、目には見えないものです。それを何か[形]のあるものに頼って歩もうとしても、逆に道を見失って迷ってしまうだけです。本当に頼るべきものとは、「目には見えないもの」=「自分自身」に他なりません。その「心の鏡」をしっかりと磨き上げれば、自然と進むべき人生の道が映し出され見えてくるのです。

 豊臣秀吉に仕えていた家臣で、竹中半兵衛という武将がいます。類まれなる智謀の持ち主で、秀吉の立身出世の立役者とも言える人物です。
 秀吉のもと、多くの武勲を立てた半兵衛は、秀吉から数々の自筆の感謝状を貰っていました。ある時、半兵衛の息子がこれを見つけます。そして、
「これを大切にしておけば、将来ものをいいますね?」
と言いました。これを聞いた半兵衛は、いきなり秀吉の感謝状を破り捨ててしまいました。
「何をなさるのですか!?」
と、びっくりする息子に、半兵衛は、
「これは、俺が秀吉公から賜ったものだ。お前とは関係ない。将来、お前がもし、これを使って出世しようなどと考えるのであれば、ろくな事にはならないだろう。自分の武勲は自分で立てろ。こういうものは、決してお前のためにはならない。だから破り捨てたのだ」
と答えたということです。

 天下人の秀吉の感謝状であれば、大きな力を持つことは疑いようのないことですが、それは所詮は「目に見えるもの」。人生を生きていく上で、本当に頼りとなるべきものとは自分自身以外にはないのだと、半兵衛にはわかっていたのです。

 人生とは不安の連続です。ゆえに人は何か[形]のあるものに頼りたくなってしまいます。しかし、実はそれは何ら幸せを保証するものではありません。幸せとは[形]には現れないもの、[形]にはできないものなのです。
 そこに何か確かな[形]を映し出すものがあるとすれば、それはしっかりと磨かれた自分自身の「心の鏡」以外にないのです。お釈迦さまが示された悔いのない人生を生き抜く秘訣が、この「心の鏡」です。