法 話

文字だけでは伝えられないこと
書き下ろし

静岡県 ・東福寺住職  伊藤弘陽

ren_2102a_link.jpg 年末にお寺の大掃除をしていたところ、今まで見たことのない掛軸が出てきました。一見して方広寺派第5代管長、河野宗寛老師の書かれたものであることがわかりましたが、河野宗寛老師は昭和45年(1970)にお亡くなりになられているので、50年以上前に書かれた掛軸と思われました。ところが作者はすぐにわかったものの、何と書かれているのか全く理解することができません。(画像参照)

 掛軸が読めない場合というのは、字のくずし方に癖があって解読できないことが多いのですが、この掛軸については字が読めるのに何が書かれているのか理解できないのです。掛軸は作者の名前を最後に書くのが一般的ですので、右から「気」、「心」、横向きになった「復か腹」、「人」、「己」と読むことが予想されましたが、そのような禅語や経典の一節に思いあたるものがありません。仕方がないので、問題を先送りにして大掃除を優先することにしました。

 コロナ禍の静かな正月も明けた頃、たまたま知り合いの和尚様から連絡があり、ちょうどよい機会なので恥を忍んで聞いてみることにしました。
 私が一通りの説明を終えると、和尚様はしばらくの沈黙の後で「それはおそらく一休さんの逸話からではないか」とご教示くださいました。ある人が一休さんに「菩薩とは何でしょうか」と尋ねたところ、次のような返歌があったそうです。

気はながく 心はまるく 腹たてず 人は大きく 己小さく

 「一休さんの逸話というのは後世の創作も多いので真偽はわからないが、この歌をもとにユーモアを交えて書かれたのではないか」とのことでした。確かに言われてみれば「気」の最後の部分が意図的に長く、「心」にだけ○があり、「腹」は縦ではなく横になっています。また「人」の字はひときわ大きく、「己」は異様に小さく書かれています。

 正月早々、50年前に亡くなった先人から一本取られはしましたが、私の心にとても深く響くものがありました。河野宗寛老師といえば終戦時、旧満州の地にいらっしゃいました。終戦後の混乱の中で自分一人でも日本に帰るのは大変な中、命を懸けて300人以上の戦災孤児を連れ日本に引き揚げたのです。現代では考えられないような苦労をされたことは想像に難くありません。思い通りにいかないことも山ほどあったことでしょう。老師の『慈眼堂歌日記』には

今日よりは 親なき子らの 親となり 厳しき冬を 守りこすべし

病み臥すも 初春迎へ 祈るなり いとけなき子に 幸多かれと

笑ふ子を たしなむ保姆に 我は言ふ 娑子の葬は にぎやかにせよ

何時の日か 国帰りせん 子供らと 今日もはかなき 噂のみ聞く

など数多くの歌が残されていて、先の見えない状況にあっても、老師の深く大きな慈悲の心が伝わってまいります。このような苦難を乗り越えられてこられた老師であるからこそ、この掛軸に込められた思いが私の胸に響いたのです。

 「菩薩とは何でしょうか」と問われたならば、それは木や石で造られた仏像ではなくこの掛軸を書かれた老師のようなお方に他なりません。そして現代にあっては、先の見えないコロナ禍にあって我々が目指すべき理想の人間像ではないでしょうか。「気はながく、心はまるく、腹たてず、人は大きく、己小さく」ありたいものです。