法 話

四十二章経の教えシリーズ〔19〕
「人として真実の道とは仏道である」
書き下ろし

京都府 ・永明院住職  國友憲昭

 人の行為の善悪について、四十二章経の第三章では、十善と五戒を中心に基準が述べられています。

 ren_2107a_link.jpg身体に関しては、生き物を殺す事、盗み、淫らな行為の三つがあり、言葉に関しては、仲を裂く言葉、悪口、嘘、飾りことばの四つであり、こころに関しては、妬み、いかり、愚痴の三つである。この十種のことをしないのが善であり、これらをするのが悪である。在家信者は怠けることなく、五つの戒め(殺しをしない、盗まない、淫らなことをしない、嘘をつかない、酒を飲まない)を守れば、必ず真実の道を得る事ができる。ましてや、先に述べた十種の悪をしなければ、なお確実に真実の道を得ることができる、とあります。

 現在のコロナ禍の状況を見るにつけて、まだできていない特効薬が出たという話があったり、どの国が一番早くワクチン接種を受けられるという話が出たり、国によっては自国のワクチンが効くとか効かないという事がまことしやかに報道されたりしており、アフリカ、アジアの発展途上国では、まだワクチンすら届いていないのが現状です。
 日本もやっと6月20日過ぎに、1000万人の人々が2回目の接種を終えたばかりです。これからはワクチン接種が広範囲に行なわれ、秋までには国民の半分以上は接種が終わるとされています。そして、さらに加速がついて、今年中には他の国へのワクチンの援助ができるようになると、世界の安定にも貢献できる事でしょう。

 新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長が、令和3年6月2日、「こんな状況下で、オリンピックをやる意義とは何か」という意見を出されました。まさにその通りで、コロナ禍を乗り切る為に任命された方の意見を真摯に受け止め、政府のみならず我々国民も一丸となって、どうしたら安心・安全なオリンピックができるかの討論を尽くしていかなければならないと思います。
 政府関係者、国会議員、地方自治体の方々には、コロナ禍におけるオリンピックの開催意義をもう一度真剣に考えていただき、なおかつ具体的でより効果的な防疫体制の確立を目指してもらわなくてはなりません。

 私の生まれは愛知県稲沢市石田町で、11歳までそこで過ごしました。生家は路地の長屋で隣の家とは壁一枚、裏には皆が使える井戸がありました。長屋の人達は仲が良く、それぞれの家に集まってご飯を食べたり、毎日のように母親たちが井戸端に集まって、まさしく井戸端会議をしておりました。通学も集団登校をしていたので、年長の者は年少の子供達をしっかりと保護して学校に向かいました。子供達には大人に対する畏敬の念と感謝のこころがあり、また年長者へのあこがれと感謝が溢れておりました。ここで育って本当に良かった、その事を感謝すると共に、今でもそれは暖かな思い出として、私のこころの中に刻み込まれています。
 しかしながら、現代の子供達にはそういった素晴らしい環境も少なく、他人の事は知らない、自分さえよければいいといった考えが、当たり前のようになっております。一日中、独りでゲームをやって、人と話したり一緒に過ごすような事もなく、コロナ禍になってからはとくに、数日間、誰とも話さないような事も起こっているようです。
 ますます人間不信を助長するコロナ禍が一日も早く終息し、子供達が元気で走り廻り、活発に会話をする声が聞こえるように、普通の日常が戻れる事を願ってやみません。

 仏の道とは、出会い難い仏教に出会いながらも、上道である仏道を求めずにお金持ちになりたいとか、他の人に勝ちたいとか、偉くなりたいなどといった、世俗的な欲望を求めるものではありません。
 人間としての真実の道を得るには、最初に書いたように、十善と五戒をきちんと守って毎日生活する事です。そうする事で、その人の心の中に大切に育まれる、仏道に他なりません。