法 話

青春してますか?
書き下ろし

京都府 ・養源院副住職  平塚景山

 ren_2108a_link.jpg暑い季節になってまいりました。日本には四季があるのですが、昨今は異常気象等により季節というものを感じづらくなっています。さて、古代中国の陰陽五行思想ではそれぞれの季節に、春は青(緑)、夏は朱(赤)、秋は白、冬は玄(黒)と色が振り分けられました。その中でも「青春」という言葉はよくご存知かと思います。主に十代から二十代の人生で若く活力にあふれた時代として使うことが多いようです。大人になりますと、あの時は良かったとか自分の青春時代は学生の時だったなどと思い出話に花を咲かせる際によくこの言葉を使います。そして、そのほとんどが過去の話ばかりで「今が青春真っ只中!」という人にはなかなか出会いません。年齢を重ねて老いを感じるごとに、若い時のような気力や情熱というものは薄れていくものです。しかし、本当の人生の青春とは年齢を問わず今、この瞬間の生き方なのではないでしょうか?
 サムエル・ウルマンの「Youth(青春)」という詩の中にこのような一節があります。


青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

作山 宗久訳『青春とは、心の若さである。』 (角川文庫)


 この詩はウルマンの八十歳の誕生日に、彼の詩がお祝いとして家族や友人によって出版されたものです。
 ウルマンは、年を重ね老人になろうとも心は常に清く、人生の生きる希望と情熱を持つことが青春だというのです。
 中国は唐の時代、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)という禅僧がおりました。七歳で仏門に入り八十歳まで各地を行脚し、それから百二十歳まで趙州(河北省)の観音院というお寺で過ごされたといわれています。趙州禅師が六十歳から八十歳まで行脚を続けるなかで次の言葉を常に口にしていたそうです。

「七歳の童子でも、自分より勝れている者には教えを乞おう。百歳の老翁でも、自分に及ばない者には、教えてやろう」。

 趙州禅師は、高齢(高僧)になっても純粋な求道心を忘れず、常に己事を究明するため修行を続けられた方でした。ウルマンも趙州禅師も年齢に関係なく、今を目いっぱい生きているという意味ではその時その時が青春時代だといえるのではないでしょうか。
 青春とは、なにも若くて自由を謳歌できることだけではなく、夢や希望、仕事の目標など、どんな小さなことにでも全力で取り組んでいるその瞬間が「青春」なのです。
 人間は、お釈迦様が説かれるように、等しく誰しもが老いてゆきます。しかし、肉体ではなく精神の老いというものは人それぞれです。私も今が自分の青春だと常々胸を張って生きたいものです。
 皆さんは今、青春してますか?