静岡県 ・東福寺住職 伊藤弘陽 |
毎年、お盆が近づいてくると「お盆の先祖供養はどうしたらよいでしょうか」という質問をよく受けます。このような質問を聞くたびに思い出されるのが曹洞宗の余語翠巌(よご すいがん)老師のお話です。 本当は、ご供養なさるときは、お経を読んだり、お花を捧げたり、お線香を供えたりして、手向けの回向をするわけですが、それでおしまいというわけにはいかんのです。本当にご先祖さまのお喜びになることは、みなさんがしゃんとしてゆくことじゃから。それがいちばん大事なことになりますから。ま、お寺に来ての法要のあとでは、これからの法供養は、みなさまの心へ転ずるわけです。 (『心の種がふくらむ話Ⅱ』佼成出版社・1995) 先祖のご供養といえば、お経を読んだり、お花やお線香を供えたりと形式的なことばかりが注目されがちではないでしょうか。でもいちばん大切なことはお墓やお仏壇のことだけではなく、それを拝むみなさんの心の中にこそある。そのように老師はご指摘されているように思います。 多くのお経や仏像はみな人の本心とは何かを説いています。本心を見失ってしまった人の為にこそ、教えがあり仏像がございます。お経を学び、仏像に手を合わせ、各々の本心に目覚めることが大切です。その人の本心とは、人の苦しみのわかる心、思いやりの心、即ち「慈悲心」に他なりません。 (『仏さまのこころ』鴻盟社 2021) と説かれています。掃除ひとつは小さなことかもしれませんが、生まれ持った「慈悲心」を活かして生活していくことが、「ご先祖様がお喜びになること」であり、みなさんが幸せをつかむために大切なことなのではないでしょうか。 |