法 話

親ガチャ
書き下ろし

静岡県 ・東福寺住職  伊藤弘陽

 ren_2202a_link.jpgみなさま「親ガチャ」という言葉をご存じでしょうか。昨年(2021年)の「新語流行語大賞TOP10」に選ばれた言葉の一つです。はじめてご覧になった方も多いのではないでしょうか。
 「親ガチャ」の「ガチャ」とはスーパーマーケットなどにあるカプセルトイの自動販売機のことで、何が出てくるのか自分では選べません。これを親にかけて「親は自分では選べないので、どんな境遇に生まれるかは運である」という意味があるそうです。この言葉はインターネット上からはじまり、若者たちの間で広まったとのことですが、逆に親の立場から見れば、「親も子供を選べない」と言い返されることでしょう。

 現代社会では何でも「自分で選べる」のが良いことであり、「自分で選べない」のは悪いことであるかのような風潮があります。この考え方の根底には「自分の思い通りになるのが幸せ」であり、「自分の思い通りにならないのは不幸せ」であるという人間の欲求があると思われます。でも私たちの人生は自分の思い通りになるものなのでしょうか。

 お釈迦さまはこの世界を生きる人間の姿を「すべては苦である」と説かれています。この「苦」とは、「思い通りにならないこと」を意味し、その「苦」の代表として「生、老、病、死」の「四苦(しく)」をあげられました。

 「生」とは生まれること。「親ガチャ」の言うとおり、いつ、どこで、どの親のもとに生まれるかは自分では選べない。思い通りにはなりません。
 「老」とは年をとること。どんなに楽しく、幸せに毎日暮らしていたとしても年をとり、古く劣化していくことはさけられません。
 「病」とは病気になること。誰でも病気になりたくないと思ってはいても、さけることはできません。また人と比較すれば、重い病気と軽い病気があるように感じられますが、自分では選ぶことができません。
 「死」とは死ぬこと。この世界に生まれたものは必ずいつか終わりの時を迎えるということです。どんなに多くのものを築いてきたとしても、最後には全てを失うのです。

 この「親ガチャ」どころか、思い通りにならないことばかりの人生ではありますが、一体どのように向きあっていくのがよいのでしょうか。仏教詩人といわれる坂村真民先生に「幸せの灯り」という詩があります。

「幸せの灯り」

幸せはどこからくるか
それは自分の心からくる
だからたとえ不幸におちても
心さえ転換すれば
灯台の灯りのように
自分ばかりでなく
周囲をも明るくしてくれる
そのことを知ろう

 現代社会では何を選ぶのか。なるべく良いものを選択していくことが幸せの条件のように思われがちです。それはもちろん大切なことではありますが、それ以上に大切なこととして、何を選ぼうとも、あるいは自分で選んだわけではなくとも、目の前の現実にどう心を持って向きあっていくのかが問われているのです。
 坂村真民先生の詩にある「灯台の灯り」のように、たとえ不幸だと感じることがあったとしても、周囲をも明るくしてくれる人になれたら幸せな人生といえるのではないでしょうか。つまり「親ガチャ」は何が出ても、すべて「当たりくじ」なのです。