法 話

縁起 ~生かされているいのち~
書き下ろし

京都府 ・興雲庵住職  坂井田泰仙

rengo1708b.jpg 昨今は若い世代の方が「縁結び」の御利益があるといわれる寺社へ参拝されることが一種のブームとなっており、良縁を結ぼうと建仁寺にほど近い安井金比羅宮には連日多くの方がお参りされています。
 この「縁」というものですが、私たちは自らにとって都合の良い縁を良縁、都合の悪い縁を悪縁という使い方をすることが多いのではないでしょうか。すなわち自らのものさしや価値観だけで「縁」を判断しているといえます。

 「縁」とはお釈迦様がお説きになられた「縁起の法」からきています。「縁起」とは「縁(よ)りて起こる」と読むことができ、この世で起こる全ての事柄には、それが生じる原因があり、そこに無数の縁(条件)が重なり、最終的に結果が生じています。
 例えば花の種を蒔けば芽は出ますが、そこから大輪の花を咲かせるためには水、肥料、太陽光など様々な縁が良い方向に重ならなければなりません。
 私たちのいのちも単独で存在しているのではなく、縁が重なることによって奇跡的に生まれ、お互いに関係し合いながら支え合い「生かされている」ということがいえます。
 また人生の中で起こる全ての出来事は自らの言動や行ないに対して無数の縁が重なった結果、生み出されることであり、覚悟を決めてその全てを受け入れ、そこで精一杯生きていかなければなりません。

 渡部成俊(わたべ しげとし)さんをご存知でしょうか? 渡部さんは1945年生まれ。10歳で父親を亡くし、家計を助けるために中学卒業後は様々な職に就きながら、26歳で婦人服のプレス業を開業。また会社経営の傍ら教育支援事業にも携わり、地域活動にも精力的に参加。多忙でありながらも充実した日々を送っておられました。
 そんな最中、渡部さんは受診した健康診断ですい臓ガンが発見され、翌年大手術を受けられます。その後仕事復帰を果たされるも、転移性肺ガンを再発、医師より余命1年半の宣告を受けられます。
 まさに絶望の淵に立たされた渡部さんは何度も自殺を考えられましたが、そんな時に心の支えとなったのが長年連れ添った奥様の存在でした。
 そして、その後の闘病生活の中で自らを静かに見つめた時、がむしゃらに生きてきた過去には見えなかった「生きる意味」を自覚されたのです。
 渡部さんは限られた時間の中で、地域の子供たちに自らの思いを伝えるため、講演活動「いのちの授業」を始められます。その中で「生きていく上で決して忘れてはならないのは、全てのものに感謝し、人のために尽くすことである」と強く訴えておられます。
 渡部さんは今回の病を契機に、網の目のように無数の縁が重なり合い、支え合って奇跡的に自らのいのちが存在していることを自然と感じられました。そして、今まで多くのお蔭様によって生きてこられたことへの感謝の気持ちが湧き起こってきたのです。
 その後渡部さんは、惜しまれながらも63歳という若さでお亡くなりになりますが、氏が残された魂のメッセージは多くの子供たちの心に刻み込まれたことでしょう。

 私たちも慌ただしい生活を送る中で、つい見失いがちな、「縁によって生かされている奇跡、有難さ」を今一度かみしめながら、日々を大切に過ごしてまいりたいものです。