お仏壇の基本的なお祀りの仕方を教えてください。
ご本尊さまを中央に。三具足と五具足では飾り方が違います。
基本的なお祀りの仕方は以下の通りですが、いつもきれいにお掃除や整理整頓をしておくことが大切です。
お仏壇をお祀りする上で、最も大切なのはご本尊さまです。ご本尊さまを中心にして左右対称に荘厳を整えましょう。
私達は、お釈迦さまの説かれた教えに帰依する仏教徒ですから、お仏壇最上位の中央にご本尊さまを安置しています。
お祀りするご本尊さまは、釈迦牟尼仏(お釈迦さま)が一般的ですが、臨済宗・黄檗宗では、個々のご縁を大切にするところから観世音菩薩や阿弥陀如来などをお祀いただいても構いません。
またご本尊の両脇には、禅宗を開かれた達磨大師さまや各ご本山の開山さまをお祀りしています。
次にご先祖様のお位牌をお祀りします。本尊さまの一段下に、向かって右側からより古い仏さまを安置します。
お供えの基本はお香・お花・お灯明の三種類で、お花とお灯明を一つづつ供える場合、三具足と二つづつ一対で供える五具足とがあります。
三具足の場合は、向かって右側にお灯明、左側にお花を供え、五具足の場合は、左右それぞれ外側にお花、内側にお灯明をお供えします。
香炉はいずれの場合も中央に据えて、お線香は立ててお供えします。何れの仏具も3本の足がつけられている場合は、手前を1本。奥に2本と、本尊さまやご先祖さまに角が立たないようにしましょう。
日常的には、お茶湯は毎朝新しいものをお供えし、朝、ご飯を炊いた時には先ず最初にお仏壇にお供えします。
また適宜、季節の果物やお菓子をお供えしたり、ご命日などにはお膳をお供えするのが基本的なお祀りの仕方です。
何よりも大切なことは、お仏壇をいつもきれいに掃除や整理整頓をして、お花もお茶湯も新鮮なものをお供えしておきましょう。本尊さまやご先祖さまがそこに「いますが如く」のようにしておくことが肝要です。
中陰が三ケ月にまたがると、よくないのですか?
まったくの迷信です。
支障があろうはずがありません。
よく世間では「三月に渡ると身が切れる、身内に不幸がある」といって、中陰が三ヶ月にまたがる事を嫌いますが、これは「語呂合わせの迷信」です。
中陰・中有とは「人が死んだ後、四十九日間は次の生を受けるまでの中間である」という『大毘婆沙論』などの説をもとに、死後七日ごとにお膳を供え、お経を諷誦し供養するわが国でも古くから行われてきた仏教行事で、特に最後の四十九日を「満中陰」或いは「忌明け」と名づけ、死者の冥福を祈ってきました。
かつては、身内に死者を出し中陰に満たない「忌中」の者は、神社への参拝が出来ないなど、地域社会への参加や活動に大きな制約を受けてきました。
「中陰が三ヶ月にまたがると、よくない」と言われる迷信は、このような背景から生まれたものと想像できます。
人は死ぬ次期を選ぶことができません。計らずしてこの世を去らねばならなかった故人は、遺されたものたちのことだけが心残りであったと拝察します。遺された私たちの幸せを願って頂ける故人が、どうして私たちに支障を来すようなことをされましょう。遺されたものは七日ごとの中陰仏事を「おかげさま」の心で勤め、故人の冥福を祈りたいものです。そういった意味で中陰仏事は、残された遺族にとって大切な人の死を受容していく大切な機縁であると思われます。
迷信に惑わされる事なく、しっかりと勤めていきたいものです。
法事はいつまで行うのですか?
家族、親戚、菩提寺の住職とよく相談されると良いでしょう。
ご先祖さまの多いお宅においては、法要を修める頻度も多くなります。そういったときに「いったいいつまでご供養しなければならないのだろう」という冒頭の疑問にぶつかることもありますが、法要を修める意味合いを自らに問うならば、自ずと答えがはっきりしてくるのではないでしょうか。
仏事としての法要とは、ご縁の深い人々が一同に会して、それぞれが我が身に関わる亡き方の遺徳を偲ぶ場です。
特に自分の両親や祖父母の法要は「いま在る私」の存在意義を深めるためにもよい機会となりましょう。
そういった意味で、年忌・習慣にとらわれなければ、毎日が法要であってもいいはずです。それぞれの年回忌を修められるときには「片づけ仕事」と思わずに、我が家の現状報告と考えてみるのもいいでしょう。最近では、ご法要の前後に兄姉や親戚でリクリェーションを企画されていることも見受けらるようです。
地域差はあるものの、仏教FAQの調べでは私達の臨済宗でも50回忌の後は50年ごとに年回忌をされる地域が多くあります。中には400年忌をされるお宅まであるようです。
「法要をいつまで勤めなければならないのか?」との葛藤が生じたときには、家族、親戚、菩提寺の住職とよく相談され修める場合も、そうでない場合も、このことによって仲違いがおきないようにしたいものです。子孫が自分のことで不仲になることは、ご先祖さまにとって忍び難いことに違いありませんから。
葬儀と告別式の違いは?
葬儀は宗教的儀礼ですが、告別式は式典です。
葬儀とは葬送儀礼の略で、亡くなった人を葬る儀礼のことです。
わが国では、古くは上代から天皇を中心に「殯(もがり)」という葬送儀礼が行われていた事が『万葉集』や『日本書紀』から知る事が出来ます。
その後、仏教の伝来によって、わが国の葬送儀礼は次第に仏教によってとり行われる様になったようです。今日では仏教だけでなく様々な宗教によって葬儀がとり行われていますが、いずれの宗教もそれぞれの教義にもとづいて葬儀を行います。
一方、告別式は自由民権運動で有名な明治の思想家、中江兆民が明治34年12月13日に死亡した時、新聞に「宗教的儀式を用いず、告別式を執行する」との広告を出し、これが告別式の始まりだと言われます。
つまり葬儀は宗教的儀礼ですが、告別式は式典です。
近年増加の「音楽葬」や「お別れ会」などは告別式にあたります。
焼香はどうするのが正しいのですか?
心を込めて丁寧にしたいものです。
焼香は礼拝する仏様に対して背筋を伸ばし、合掌礼拝をして香を自然に親指・人差し指・中指の三本でつまみ、反対の手のひらを添えながら顔の高さまで頂き香炉にくべます。後に人がいる場合は、右か左に避けて後の人が焼香できるように場所を譲ってから再び合掌礼拝します。
この時、「何回くべるか?(線香の場合は何本?)」という疑問が生じます。
焼香は亡き方に香りをお供えする行為ですから、私たち臨済宗・黄檗宗では本数や回数に強くこだわる必要はないと考えます。それよりも、香りのよいものを心を込めてお供えしたいものです。昨今は、焼香台にあらかじめお香が添えられていますが、本来は個々に用意したお香を焚くべきものであったでしょう。
ただ一般に、葬儀の時は仏教的には「一に帰る」(帰真・帰元ということ)、俗説では「別れの一本線香」と言われるように焼香も一回のみする事が多いようです。特に多くの方々が焼香をされる事を考えると、マナー的にも一回の焼香に心を込めて丁寧にお供えしたいものです。
臨済宗の中には『万法唯一心』という言葉を用いて、心を専一にし、一心に亡者の冥福を祈るところから、お線香も、焼香も一回で良いと言う説もあります。(妙心寺派 京都・東源寺 西大拙師・故人)仏様の真前に額ずいて、報恩の真(まこと)を捧げて、丁寧に焼香合掌礼拝できたら、最上の妙香でありましょう。
線香の本数や焼香の回数は宗派によって決められた場合もありますから、菩提寺の住職にお聞きすることをお勧めします。
同じ仏教なのになぜ宗派の違いがあるのですか?
仏教には応病与薬(おうびょうよやく)という言葉があります。
何れの宗派も、もとをただせば、釈尊の教えに帰します。違いの要因として、釈尊が自らの教えを説く場合、相手の人柄、性格、能力に相応しい形で法を説かれました。
これは迷える人に、より深い理解と気づきを願われてのことです。それを対機説法といいます。仏教には応病与薬(おうびょうよやく)という言葉があります。病に応じて薬を与えるという意味で、仏は衆生の病を癒す医者の王にたとえられ、仏が衆生の病の種類に応じて、その病を癒す薬を調合して与えるという発想が生まれました。そして、その教えを聞いた人々がそれぞれの理解を主張したところに宗派が生まれたと思われます。
また、仏教には八万四千の法門と呼ばれるように無数の教えがあります。その中から自分にあった教えを取り上げたことにも宗派に分かれた要因がみられましょう。つまり、宗派とはその人が自らの迷いに気づくために、最も相応しい教えを求めたところに誕生したわけです。何れも目的は、心の安心です。心の安心を得るために、たくさんの手段が生まれました。宗派は手段です。仏教徒の私たちの目的は、いろいろな手段で釈尊の願いでもある安心を頂くことです。目指すところは、何れの宗派も同じなのですから、そこに教えの優劣は生じません。教えの根本はすべて釈尊の教えなのですから。
剃髪している方やそうでない僧侶、決まりはないの
禅宗の僧侶は剃髪が基本ですが、外見で判断はできません。
ただ臨済宗の専門道場で修行する期間は、必ず剃髪しなければなりません。禅宗の僧侶は剃髪が基本ですが、外見で判断はできません。基本的には四と九のつく日、大体五日に一度剃ります。でも法要、葬儀等、特別な行事があったりすると、臨時に剃髪をします。中にはお坊さんだけではなく、教師など他の仕事を持ってられる場合があります。それを両立させるという事はとても大変なことです。そのお仕事の関係で伸ばされている方もあると思いますが、頭を剃っているお坊さんと髪を伸ばしているお坊さんどちらにしても、中身を見ずに上っ面だけで判断することは危ないと思います。
釈尊は修行者として入道得度するときに髪や鬚を剃ることを定めました。その意味は仏弟子として世俗の虚飾をさけ、また外道と区別するためともいわれています。ですから釈尊在世中は厳しく守られていました。釈尊滅後もおおむね僧は剃髪をしていたことと思われます。戒律を遵守しているチベット僧や、東南アジアの諸国の僧は現在でもきちんと剃髪をしています。
さて中国の仏教徒も、剃髪に関してはその多くは守っていたようです。しかし楊岐方会(ようぎほうえ)禅師(1049年寂)や中峰明本(ちゅうほうみょうほん)禅師(1323年寂)の頂相(全身図)を拝見しますと剃髪はしていません。中国で代表的といわれるこうした禅僧が有髪であったということは、中国にあってすでに厳格に守られていたわけではないのです。
日本の僧はどうだったのでしょうか。仏教伝来が538年(一説に552年)でその当時の僧はやはりきちんと剃髪していたと思われます。室町末期の一休禅師のように、わざと髪や鬚をのばしている僧は例外といえましょう。有髪の僧が多くなったのは明治ごろからと思われます。非僧非俗の生活を信条として浄土真宗を開いた親鸞聖人(1173~1262)の教えが、この当時隆盛であったこともその間接的な原因であったかも知れません。
精進料理の精進とはどういう意味なのですか?
無駄な命はひとつとしてありません、という事です。
禅宗の修行僧が頂く肉や魚・卵などを使わない料理のことを「精進料理」と言いますが、その意味合いは単に「生臭を使わない料理」という事だけではありません。
私の命は、様々な命によって支えられています。様々な命を頂く事によって身体と心を保つことができるのです。
料理のメニューは、好みによって自由に選ぶことができますが、その食材は、すべてが天下に一つとない尊い命のあらわれなのです。その命を頂くのですから、無駄にすることないように心がけ、又その命に報いるだけの生き方に務めることが本来の精進料理の所以です。
精進料理とは、メニューの名前ではなかったのです。
無駄な命は一つもありません。「命」あるものを頂いた限りは、その命の分まで前向きに生きていきたいという願いを持ちたい。精進料理とは、食材の命を無駄なく使いきる姿勢と、無駄なく頂く姿勢を言います。
私も禅僧になりたいのですが、どうしたらなれるでしょうか?
まず禅寺の弟子になります。 「来るものは拒まず、去るものは追わず」と禅の道場では言います。誰でも禅僧になることはできます。そして、いつでも辞めることができます。よって、禅僧になりたいという固い発願心が何より大事となります。 まず禅寺の弟子となり、そして僧堂という禅の専門道場へ入門します。 そこで道場の指導者であるお師家さんに就き公案という禅問答を通じて、禅僧になりたかった自らのきっかけと向き合っていきます。道場では、禅の学問的なことや仏事のノウハウ以前に、自らの心の探求に重きを置いています。