行事活動報告

臨済寺復興支援訪中団

ご報告

臨済寺大雄宝殿 臨済寺の復興支援を目的とした、有馬賴底日中臨黄友好交流協会会長を団長とする一行11名は、3月25日より31日まで訪中し、河北省にある臨済寺と柏林寺を表敬訪問、両寺院より歓待を受けた。
臨済寺は、1984年の開放以来改修が続けられているが、経済困難から伽藍は臨済祖庭としての特色を出すまでには至っていない。現在、河北省仏教協会、正定県政府などが中心となり「臨済寺改修工作委員会」が発足し、全体的な改修事業が進められている。
臨済寺にて 2日目の3月26日に臨済寺を訪問した一行は、監院である本権法師を始めとする常住僧侶らの出迎えを受けた。先ず臨済塔を拝塔、続いて大雄宝殿・蔵経楼の諸堂で諷経を行なった後、客殿にて有馬団長と本権法師とが会談、協会より復興資金と記念品が臨済寺に贈られた。本権法師は、住持である有明法師が病気療養中のため、面会できない非礼を伝え、日本側の協力で修復工事が進んでおり、これからも指導をお願いしたいと感謝の言葉を述べた。
次に一行は河北省趙県にある柏林寺を訪問した。柏林寺は趙州従しん【言+念】禅師が住した寺院として名高く、もと観音院と称した。十数年前までは趙州塔が残るのみであったが、前住持の浄慧法師が大伽藍を再建し、仏学院を持つまでに発展させた。
有馬団長と明海法師 一行は趙州塔を拝塔した後、現在の住持である明海法師の案内のもと寺院内を見学、4年前に落慶した1万体の諸仏を祀る萬仏楼で諷経を行なった。見学後、客殿に案内され、有馬団長と明海法師による会談と互いの記念品の交換が行なわれた。
両寺院の訪問には、河北省仏教協会副会長の呉明山居士と高士涛居士らも同行し、中国仏教関係者との交流を深めた。
栢林寺での午斎 柏林寺で受けた午斎は精進食材による鍋料理で、種類も豊富、非常に美味であった。食後は北京に向かい帰国するグループと、山西省の平遥や運城、河南省の洛陽などの寺院や史跡を巡るグループとに分かれ、それぞれの目的地に向け出発した。
各訪問地は何れも好天に恵まれ、有意義な旅を満喫することができた。

日程

時期 平成19年3月25日(日)~3月31日(土)  7日間
企画協力 日中臨黄友好交流協会
旅行実施 JTB西日本団体旅行京都支店
行程表
 詳細はPDFにてご覧下さい。

訪れた史跡・世界遺産

平遥(世界遺産) 中国北部山西省に位置する平遥古城は、1997年にユネスコから「世界の文化と自然遺産」に指定された。世界遺産委員会は、「平遥古城は、中国に現存する最も完璧な古城で、中国歴史の発展の中で、優れた文化、社会、経済及び宗教発展の姿を示している」と評価した。

【鎮国寺】
鎮国寺は、建立当初の名を京城寺と言う。明嘉靖19年(1814年)に現在の名称に改称された。万仏殿は、中国木造建築でも最古の部類に入る。

【双林寺】
双林寺は、元の名を中都寺と言う。全部で10もの殿堂があり、前院、中院、后院の3構成でなる。これらの殿堂には、2000以上の芸術性高い仏像があり、その多さから、仏像の博物館との異名をもつ。

【平遥古城】
城壁が有名。一周6.1577km、城壁の高さは場所によって異なり6~10m、壁上部の幅は3~5m、壁底辺部は9~12mである。城壁の内側には、600年前の町並みや店舗、市楼がそのまま残され、城壁の外側は近代的で、新しい町である。

臨汾 山西省の南部。汾河の下流に当たる。

【大雲寺】
俗に鉄仏寺といい、創建は唐の貞観年間(627~649)で、清の時代に地震で倒壊し、後に再建。最も有名なのは、方塔。6層からなり、第1~5層が方形、第6層が八角形で、八卦の方位にもとづいて建立。高さ30mあまりで、各層に釈迦・菩薩・羅漢・弟子と仏教説話をテーマとした瑠璃の部材がはめこまれている。

【広勝寺】
柏の老木が生い茂り、泉水が流れ、山紫水明の地。後漢の建和元年(147)の創建。上下両寺と、水神廊の3つからなる。上寺は柏の老木に取り囲まれ、山門を入ると、飛虹塔がそびえている。全体が黄緑藍三彩の瑠璃で装飾されているので、瑠璃塔とも俗称されている。下寺は、山麓に位置し、建物が、地形の起伏に応じて波状に並ぶ変化に富む寺院建築。

運城 山西省西南部にあり、塩池があり塩がとれる。明、清時代には河東塩運使をここに駐在させ、塩を黄河経由北京へ運ばせた。運城の名はそこから生まれた。

【解州関帝廊】
運城市解州鎮西関にある。解州は関羽の出身地。創建は隨の開皇9(589)年で、宋・明代に拡張と改修を重ね、現存する廟は1万8000平方メートルで、南北に分かれる。南側は結義園で、周囲に桃林が生い茂り、劉備・関羽・張飛の三人が義を結んだ桃園の雰囲気を醸す。北側は正廟で、前後両院に分かれる。後院は春秋楼を中心に、万楼と印楼を両翼に配し、きわめて雄大。

【永楽宮】
道教の大本山。もと大純陽万寿宮といい、黄河の三門峽ダムの建設で水没することになり、現在地に移された。道蔵(道教経典の総称)中の関係のある典籍と境内にある碑文によると、永楽鎮は道教八仙のひとりである呂洞賓の生まれたところで、呂氏の死後に地元民が旧居を呂公祠に改めた。金代末期、呂洞賓の神話が流布するにつれ、礼拝に訪れる者が序々に増え、道教寺院の形態を整えられた。

洛陽 洛陽は河南省の西、黄河の中流地にある。中国の七大古都の一つとして、歴史上9の王朝の70の帝王が都をここにおいていた。

【洛陽竜門石窟】
敦煌の莫高窟、大同の雲岡石窟と並ぶ中国三大石窟の一つ。現存する石窟は、計1352ヶ所もあり、全長は1キロにも及ぶ。盧遮那仏は北魏時期に作られた他の仏像にみられる西方のヘレニズムの影響を少しも感じさせない中国的造形美の極致である。

【白馬寺】
市街から東へ12キロほどの所に位置する、後漢時代の68年に創建された中国最古の仏教寺院である。寺の名の由来には所説があるが、『魏書』によると、インドから二人の僧侶が白馬に経文を積んで、この地にやってきて仏教を伝えたということによる。山門の前には白馬の像が立ち、門をくぐると印度の僧侶の墓がある。現在境内には、天皇殿、大仏殿、大雄殿といった伝統的な四合院形式による建築物がたたずみ、歴史を感じさせる。