(1)
21日17時、中国仏教協会幹部の到着を待ち、顔合わせを兼ねた日中両国代表者による会談を行った。日本側は有馬賴底団長、小堀泰巌副団長、稲垣宗久副団長、栂正隆秘書長(日中臨黄友好交流協会事務局長)、浅野全雄副秘書長(建仁寺派庶務部長)らが出席した。
中国側は、学誠中国仏教協会副会長、宗家順中国仏教協会教務部長、張開勤中国仏教協会国際部次長、刀述仁雲南省仏教協会会長、崇化法師、雲南省及び大理市の人民政府・宗教局関係者らが出席した。
中国側を代表して刀述仁氏は、「今回の訪中を熱烈に歓迎する。長年にわたり信頼を置いている有馬管長をはじめ小堀管長にお会いでき感激である。友好関係の絆を強めることは両国仏教にとって大きな慶事であり、趙樸初先生より続く友好の継続を今後もお願いしたい。一行が中国滞在中楽しく過せることをお祈りする」と述べた。
これに対し有馬会長は、「1977年に初めて訪中して以来今回で73回目となる。中国の目覚しい発展は素晴らしく敬意を表したい。中国仏教協会とのご縁は趙樸初先生のお蔭である。臨済宗では、10数年前に開封大相国寺と京都相国寺とが友好寺院協定を結んだのが最初である。これから崇聖寺と日本仏教界との新たな交流が始まる。また、この地に4人の日本人僧が祀られているが、日本側がこれまで放置していたことをお詫びしたい。これを機に日中仏教の新たな発展につなげてゆきたい」と述べた。
また、小堀副団長は「思いもかけず多数の方々の歓待を受け感謝する。私も趙樸初先生には3度ほどお会いしている。諸事にかまけて日中臨黄友好交流協会には関与できなかったが、これからは大理とのご縁を大切にしたい。建仁寺は栄西禅師が建立したものだが、中国仏教を移植したようなもので、中国を訪れると故郷に帰ったような気がする。四僧塔と妙光寺第8世の斗南和尚との関連も近年まで知らず、今回奥深い因縁をもらい、先人の苦労に酬いたいと思う。栄西は茶祖と呼ばれるが、茶の元は雲南省であるため、以前から訪問したいと思っていた」と述べた。
(2)
18時より訪中団を迎えての歓迎夕食会。崇化法師が歓迎の挨拶を述べた。中国側は、学誠法師、刀述仁氏、宗家順氏、張開勤氏らが出席した。大理側より団員に記念品が渡される。
(3)
22日8時45分、四僧塔へ向けてホテルを出発。公安の先導を受け天龍八部影視城(映画村:四僧塔はこのテーマパークの奥にある)に10分足らずで到着し9時の開門を待つ。城門前でのオープニングセレモニーと内部の多彩なアトラクションを見物しながら影視城を抜け小高い丘にある四僧塔へ到着。
9時40分より小堀副団長を導師に法要を開始する(香語-大悲呪-塔前回向)。
四僧塔拝塔香語
東溟萬里遠航師 東溟 萬里 遠航の師
一掬憂心是寄誰 一掬の憂心 是れ誰
にか寄せん
六百年前参学夢 六百年前 参学の夢
如何誦呪拝霊祠 如何 誦呪して霊祠を
拝す
宗運拝
終了後、四僧塔前に建設された記念館を見学し、影視城内の茶所で接待を受けた後、出発時間まで自由行動。
(4)
13時35分、ホテルを出発。公安の先導により崇聖寺へ向かう。13時50分、崇聖寺大雄宝殿前に到着し、有馬団長導師のもと、先ず日本側法要を行なう(般若心経-本尊回向、大悲呪-追福回向)。引続き中国側法要が行われる。終了後、大雄宝殿前で記念撮影を行なう。
14時45分より批准記念式典が開始される。司会者より日本側、中国側出席者の紹介が行なわれる。
日本側は有馬団長、小堀副団長、稲垣副団長、栂秘書長、浅野副秘書長、江上泰山相国寺派宗務総長らが紹介された。
中国側は、学誠法師、熊錫祥雲南省宗教局長、刀述仁氏、楊秀星大理州人民対外友好協会副会長、段棊大理市人民対外友好協会会長らが紹介された。
次に中日双方代表者による挨拶が行われた(学誠法師-有馬団長-崇化法師)。
○学誠法師あいさつ
「今日、中日両国の高僧方を迎え、崇聖寺と日中臨黄友好交流協会とが友好関係の調印式ができたことに中国仏教協会を代表して御礼申し上げる。これは中日の仏教交流において大きな慶事である。古くからの友人である有馬賴底団長を始め代表団各位の来訪を歓迎する。
中日両国は一衣帯水の友好的な関係で、仏教が日本に伝播して以来、両国人民の繋がりに大きな役割を果たしてきた。建仁寺開山栄西禅師は法を求め2度にわたり入宋し、天龍寺と相国寺の開山である夢窓疎石禅師は日本に渡った一山一寧に教えを受けている。
600年前、数十人の日本人禅僧が大理で参学し、その中、斗南、機先などの禅師がここで没した時、地元の人民が建てた四僧塔は今も現存し両国友好のシンボルとなっている。
1979年に日中友好臨済黄檗協会が発足して以来、日本臨済宗は正定臨済寺、趙州柏林寺、径山万寿寺、天台山万年寺等の祖山復興に大きな貢献をしてきた。さらに両国仏教界で行なった中日禅僧交換交流は6回を数え大きな功積となっている。
今回の大理崇聖寺と日中臨黄友好交流協会との友好関係締結は、1992年の開封大相国寺と京都相国寺、2005年の北京霊光寺と京都霊雲院との友好寺院協定以来3度目のことで、両国仏教界の友好交流の結晶であり、「黄金の絆」をさらに強固なものとするものである」。
○有馬賴底会長あいさつ
「尊敬する大理崇聖寺、崇化法師。尊敬する中国仏教協会副会長、学誠法師。尊敬する雲南省仏教協会会長、刀述仁先生、中国仏教協会の諸大徳、本日ご列席の諸先生方、日本臨済宗黄檗宗の大理崇聖寺四僧塔訪中団を代表して一言ご挨拶申し上げる。
2007年1月に、日本において大理崇聖寺と日中臨黄友好交流協会とが友好寺院関係を締結し、本日、大理崇聖寺において友好寺院締結記念式典が行なわれたことは誠に喜ばしく、日中友好、仏教文化交流、両国仏教の益々の発展興隆に努めてゆきたい。
仏教は中国が大先輩であり、中世以来、幾多の留学僧が中国において学び修行して帰国し、日本禅宗の発展に努めてきたことは周知のことである。本日、日本人留学僧の四僧塔を拝しその感を深くした。
1992年に開封市大相国寺と京都相国寺との友好寺院締結式の祝辞で、故趙樸初中国仏教協会会長は、「この友好寺院の締結は、中日両国仏教友好親善の新たな印(しるし)と出発点と見なすべきであろう」と申された。この度の締結も、まさにそのお言葉通りである。
我々は、今後の交流において、手を携え、肩を並べ、一体となって仏法を高揚し、普く衆生を救済し、日中両国人民世々代にわたる友情を発展させ、アジア、そして世界の平和に新たな貢献を捧げよう」。
○崇化法師あいさつ
「大理崇聖寺を代表して皆様のご来訪を歓迎する。中日両国の文化は緊密であり、両国人民も兄弟のような関係である。大理は中国の西南にあり、シルクロードの中枢と茶葉古道の要衝である。唐の714年に仏教が大理に伝わって以来、急速に伝播し大理の文化に大きな影響を与えたと同時に、仏教文化は大理において隆盛を迎えた。
多くの日本人僧が参学のため中国に渡ってきた。その中には明代の天祥、機先、大用など大理で修行した者もおり、最後はこの地で没し埋葬された。以後600年余りの歳月の中で大理の人民は日本の四僧塔を見守ってきた。
近年来、中日関係は日増しに密接となり、日中臨黄友好交流協会が中日仏教界の友好関係の促進に大きな役割を果たしてきた。
2006年、中国国家宗教局の葉小文局長が日中臨黄友好交流協会の有馬賴底会長に親書を送り、四僧塔の状況を紹介した。これにより日本人僧4人と大理との歴史的な経緯が明らかになった。2006年に行なわれた崇聖寺落慶法要のおり、中国国家宗教局・中国仏教協会は、日中臨黄友好交流協会事務局と友好関係締結に向けて協議を行なった。
2007年1月29日から2月5日まで、私が団長となり日本を訪問し、1月30日に京都において友好関係協定の締結を行なった。その際、適切な時期に日本側が訪中団を組織して崇聖寺を訪れ、中国側主催の友好関係協定の調印式に参加することになっていた。
中日双方の共通認識に立ち訪中団を迎え、この後調印式を行なうことになる。これを機会に世界の平和、社会の調和、人類の和睦、そして中日の友好関係の発展に寄与してゆきたい。今後、相互訪問や仏教文化の研究など交流の場を広げ、よりよい内容となるよう努力してゆく」。
有馬団長と崇化法師により友好関係締結協議書に調印を行なう。調印後、花火が打ち上げられる。
記念品の交換。日中臨黄友好交流協会より「訓読五灯会元」と賀儀50万円が手渡される。
方丈院の前に移動して友好の記念植樹。友好を記す記念碑が建てられていた。
用意されたカートに乗車して崇聖寺境内見学の後、ホテルへ。
(5)
18時より市内にあるレストランにて祝宴。中国側は学誠法師、中国仏教協会関係者、崇化法師、雲南省と大理市の人民政府・宗教事務局関係者らが出席した。中国側を代表して阿澤新大理市人民政府常務副市長が乾杯の挨拶、訪中団を代表して小堀副団長が答礼の挨拶を行なった。食事後、文芸の夕べ「胡蝶の夢」を鑑賞してホテルへ。
(6) 23日午前、A班とB班に分れ次の目的地に移動。
A班:麗江、石林等を参観して25日に帰国
B班: 天台山萬年寺・国清寺、天童寺などを訪問して26日に帰国
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