行事活動報告

日中合同法要訪中団報告(2016.09.7~8)

平成28年9月7日、中国河北省正定県の臨済寺で「中日仏教界記念臨済禅師円寂1150周年連合法会」が、日中の僧俗合わせて350余名が参列し盛大に営まれた。
本法要は、臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念事業の一環として遠諱局旅行部会を中心に準備を進めてきたもので、日本からは遠諱総裁の中村文峰南禅寺派管長を団長に、各派管長・師家を副団長に複数の訪中団を組織して総勢186名が参加した。

50年前の臨済禅師1100年遠諱では、古川大航妙心寺派管長を名誉団長、山田無文禅文化研究所所長を団長に、10名からなる臨済宗訪中使節団が組織され、北京の広済寺(中国仏教協会本部)で日中合同法要を行なったのち臨済寺を訪れている。当時の臨済寺には崩れかけた臨済塔が残るだけであったが、その後、日本の臨黄各派の支援などによって塔が修復され、その周辺に伽藍が整備され現在に至っている。

訪中団は法要前日の9月6日に日本を出発し、北京から河北省の省都である石家荘までバスで5時間半かけて到着した。同夜は日本側を招待しての河北省仏教協会主催の歓迎晩宴が石家荘世貿広場酒店で行なわれ、両国の主要メンバーの紹介の後、中国側を代表して、臨済寺住職慧林法師が挨拶に立ち、「1980年代の初め頃より、山田無文猊下らの一行が臨済祖庭である澄霊塔をご参拝され、帰国後、祖庭の復興再建のために積極的に浄財を募集していただいた。この後、恩師の有明長老が住職をつとめてきたここ三十年近くには、松山萬密猊下、塩澤大定猊下、嶺興嶽猊下、有馬賴底猊下、澤大道猊下、則竹秀南老大師、阿部宗徹老大師など臨済宗各派の方々が、何回も正定臨済祖庭へ参拝に来られ、臨済禅寺の発展と中日両国仏教交流のために大いに貢献されてきた」とこれまでの経緯を述べ、歓迎の意を表した。

IMG_4081.JPG 日本側からは、副団長である円覚寺派管長横田南嶺老師が、河北省仏教協会及び臨済寺に感謝の意を伝え挨拶を行なった。

IMG_4113.JPG 「今年は、宗祖臨済義玄禅師の1150年大遠諱の年にあたり、そのような記念すべき年にこうして祖師の霊塔をお参りできるのは、まことに有りがたいご縁である。
それは、仏陀の正法が、初祖菩提達磨大師によって中華の地に伝えられ、その法灯を受け継がれた臨済禅師が世に出て禅風を挙揚されたおかげである。
さらには、その臨済禅師の教えが、中華に地にあって代々の祖師方によって伝えられ、やがて日本から中国に、また中国から日本に海を越えて、それぞれに自らの身命を顧みることなく、法灯を伝えて下さった祖師方のご苦労の賜である。
日本では15の本山によって法灯が守られ、更には約40の専門修行道場において、臨済禅師の教えが実践を通じて学び伝えられてきた。
50年前の1100年の大遠諱の頃から、幾度も古川大航老師や山田無文老師や各山の老師方によって訪中が重ねられ、中日両国の力を結集して祖塔の再興もなされた。そのような中日両国歴代の苦労の精華が、このたびの1150大遠諱大法要である。
『臨済録』には、「恩を知って恩に報いる」の一語がある。法灯を伝えた歴代の御恩を深く思うと共に、その御恩に報いるべく、我々臨済の児孫は、更に精進して法灯を守り、次世代に伝えるために努力してゆきたい。
そして、臨済宗の教えが、広く世界の平和と人類の幸福安寧に資するように勤めたいと誓うものである」。

IMG_4181.JPG その後、両国代表による記念品の交換を行ない、会食ののち、宿泊先である石家荘ヒルトンホテルに向かった。

9月7日7時30分ホテル出発。2台の専用車と7台のバスに分乗して臨済寺に向かう。8時20分、順次臨済寺に到着。日本側代表である各派管長・師家、各派宗務総長らは、臨済寺が用意した客殿に、団員はそのまま会場で待機した。

_AC_7822.JPG 9時、日本側代表の入場後、司会より開会が告げられ合同法要が開始された。法要は、両国代表の紹介にはじまり、両国代表者の挨拶、両国代表による献花、中国側法要、続いて日本側法要の順に執り行なわれた。この日は朝より快晴に恵まれたが、屋外の厳しい日差しのもとでの法要となった。

中国側の挨拶は、中国仏教協会副会長の演覚法師と臨済寺住職慧林法師が行なった。
演覚法師は、日本の各宗派代表と参拝団に歓迎のことばを述べ、次の通り挨拶した。

IMG_4729.JPG 「達磨大師により将来された禅の教えは、中国で五つの宗を生んだ。中でも臨済宗は中国北方で創立された唯一の宗派である。臨済宗の創始者である臨済義玄禅師は鋭い機鋒、峻烈な棒喝で知られ、その禅思想は『臨済録』に記される。臨済宗の「大機大用」「活殺自在」の禅風は後世に大きな影響をあたえ、今日まで伝えられている。中国には「臨済宗は天下にあまねし」という言葉があるが、臨済宗は中国仏教史上に重要な位置を占めていると言える。
中日両国の仏教界の友好と交流は古い歴史を持つ。12世紀に日本に伝えられた臨済禅は武士層から一般民衆まで篤く信仰され、日本の社会や文化に大きな影響を及ぼした。日本に臨済宗が広まる上では栄西、円爾弁円、蘭渓道隆、兀庵普寧、無学祖元などが重要な役割を果たした。彼らは日本禅宗の発展を推進し、中国の禅林制度を日本に持ち帰りつつ、宋代・元代の文化を日本に紹介して日本の歴史文化に大きな影響を与えた。明代末期の隠元禅師は、日本に渡って大いに臨済の宗旨を高揚し、中日の文化交流に深い影響を与えた。
近代以降、中日の臨済宗は各自の特徴を保持しつつも時代の流れと人々のニーズに適応し、臨済禅の精神を継承発展させた。日本の鈴木大拙先生は「平常心是れ道なり」の精神に基づき、禅の欧米社会への伝播に貢献した。わが中国では、中国仏教協会前副会長・河北省仏教協会初代会長であった浄慧長老が「生活禅」の理念を提示、禅の精神、智慧を生活の中に生かすことによって、生活において禅的超越を実現しようとした。中日両国の臨済宗の先哲大徳は、それぞれ伝統的な臨済禅を新たに意義づけて、禅宗思想の現代化を推し進めた。
ここ30数年来、日本臨済宗・黄檗宗は、河北省正定臨済寺・趙州柏林寺・浙江省径山万寿寺・天台山万年寺など、禅宗祖師とゆかりの深い祖庭の復興と再建を積極的に支援され、中日韓三か国の仏教交流会議を支持、数回にわたり中日青年僧間の修行体験を開催した。また開封大相国寺と京都相国寺、北京霊光寺と京都霊雲院、大理崇聖寺と日中臨黄友好交流協会などが「姉妹寺院」「友好関係」などを締結している。このように日本臨済禅宗各派は、両国仏教の「黄金の絆」の関係を発展させるため、積極的な貢献をされてきた。
今日、中日両国の仏教界は臨済禅師1150年遠諱合同法要を通じて、仏教交流に多大な貢献をされた中日両国の祖師先哲たちを偲び、臨済の禅風を継承し、宗門の法誼を深めて、両国仏教の「黄金の絆」の関係をさらに強めてゆきたいと思う。そのためには、中日臨済宗の友好交流に大いに貢献された故・趙朴初先生・浄慧長老・有明長老、および日本の山田無文長老・福島慶道長老などの先輩大徳を忘れてはならないだろう。2013年2月、浄慧長老は病を押して、ここ石家荘の河北省仏教協会本部において日本臨済宗相国寺派管長である有馬頼底長老を迎えたが、これは浄慧長老が河北省で国際友人を迎えた最後であって、両国臨済宗の深厚なる法誼を明らかに示している。
中日両国の臨済宗が、宗門の伝統を高揚して交流を深め、千年にわたって伝承された臨済の宗風を堅持し、宗門の人材育成の方法を不断に見出し、時代への適応に力を傾け、両国仏教の更なる発展と千年以上にわたる法縁の継続、および両国人民の善隣友好のために新たな貢献を捧げていくことを心よりお祈り申し上げる」。
慧林法師は、「中日仏教は同じ宗派と同じ流れを持っており、この臨済禅師1150年遠諱を迎えるにあたって、私たち中日臨済子孫らは一堂に集まり、ともに臨済義玄禅師を記念することになった。
正定は臨済宗の発祥地で、臨済寺は臨済禅師のゆかりの深い祖庭だけでなく、臨済子孫が仰いだ聖地でもある。臨済禅師の「四喝」の宗風は千年経っても途絶えないことから、臨済将軍と呼ばれるようになった。日本国の栄西祖師は入宋求法して臨済禅師の宗風を継承され、帰国後、臨済禅師を大いに弘めることで幕府の武士たちに尊崇され、日本に根付くようになった。その後、中日お互いに往来した僧侶はより多くなり、隠元隆琦禅師の渡来も臨済宗の発展につながった。
両国臨済宗門人らの友情は深いもので、お互いに交流したり、協力しあったりする関係にある。
最後となるが、臨済義玄禅師1150年遠諱記念行事や臨済法脈のますますの発展及び高僧大徳の皆さまの健勝を心よりお祈りしたい」と述べた。

日本側は団長の中村文峰老師が挨拶を行なった。

_AC_7997.JPG 「宗祖臨済禅師の1150年の節目に際し、禅師の遺徳を偲ぶために日本から来られた諸大徳、また地元中国の各地から多くの方々が参集されたことを法幸に存じ上げる。
この数年、日本では臨済禅師の遠諱に当たり多くの関連行事が催され、臨済宗寺院のみならず一般の方々も参加され、禅師について深く関心を持たれることとなり、禅に触れた人々の表情に凛としたものを感じた。
昨年4月から1年間、私も『臨済録』の提唱という形で遠諱行事に携わったが、『臨済録』は、禅師が遷化されて1150年経った現代においてもなお我々の指針となり、また臨済宗の脊梁骨となっている。私自身提唱を通して禅師の教えに今一度触れ、自らの課題と役割を再認識することができた。
中国で生まれ日本で育まれた禅は、今や欧米にも拡がりを見せている。そして禅は「真正の見解」や「一無位の真人」など端的に真髄を表す言葉として伝わり、真実の教えとして今後も生き続けるだろう。その中で我々禅宗の僧侶がどうあるべきか、これを機に学び直し、認識を新たにしたい。
本日という有難い機会に立ち会えた仏縁に感謝し、日中の僧侶が集まったこの僧伽を「南無帰依僧」と尊び、今後も臨済禅師の教えを広め発展させていくことを誓い、挨拶とさせていただく」。

_AC_8022.JPG この後、両国代表者各20名が臨済禅師像を祀った祭壇に献花を行ない、中国側法要に続き中村文峰老師を導師に日本側法要が行なわれ、臨済宗祖庭の地で高らかに香語が唱えられた。

_AC_8173.JPG 高揭死生自在身  高(たか)く掲(かか)ぐ死生(しせい) 自在(じざい)の身(しん)
栽松臨済実頭人  栽(さい)松(しょう)臨済(りんざい) 実頭(じっとう)の人(ひと)
傳来千佰五旬念  伝(つた)え来(き)たり千(せん)百(ひゃく)五十(ごじゅう)年(ねん)
京洛石家総是眞  京洛(きょうらく)石家(せっか) 総(そう)に是(こ)れ真(しん)なり
文峰 九拝

法要後、霊雲院一行による「臨済禅師御詠歌」の奉詠の中、出頭者代表焼香が行なわれ、自由参拝、記念撮影の後、11時10分、臨済寺を後に答礼宴会場である石家荘ヒルトンホテルに向かった。

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中国側関係者100名を招待しての答礼宴では、先ず日本側を代表して副団長の妙心寺派管長嶺 興嶽老師が、臨済宗黄檗宗各派を代表して河北省仏教協会会長明海法師をはじめとする中国側関係者に御礼の挨拶を行なった。

_AC_8313.JPG 「日本臨済宗は、全て臨済宗の宗祖である臨済義玄禅師の法系を継ぐものであり、楊岐方会禅師の法孫である。そして、日本の大応国師、大燈国師を経て妙心寺開山無相大師の法孫、白隠慧鶴禅師の流れを継ぎ現在に至っている。
中国と日本の関係は、人と人との深い交流によって培われたものであり、日本に伝えられた仏教においてもその関係は特筆すべきものがある。
臨済禅師1150年遠諱に正当する本年3月、臨済宗黄檗宗合同で大法要を修し、禅師に対する報恩の誠を捧げた。
今後は両国の友好を深めるためにも、日本臨黄各派と中国仏教界の交流が、更に深化することを希望して御礼のご挨拶に代えさせていただく」。

_AC_8340.JPG 続いて、河北省仏教協会副会長明勇法師が、河北省仏教協会及び臨済寺を代表して招待に対して感謝の意を伝え、「中日両国は地理的に一衣帯水関係にあり、友好交流の歴史的伝統を持っている。中日仏教界の臨済子孫は同じ流れと開祖を持ち、両国の諸先輩たちが構築した「黄金の絆」関係が結ばれているため、この中日両国仏教界の伝統的法誼を発展させることは、私たちの一人一人に課せられた責務と使命とならなければならないと」、述べた。

_AC_8360.JPG さらに、日本側秘書長の蓮沼良直南禅寺派宗務総長が謝辞を述べた。
「澄霊塔下での日中合同法要奉修にあたり、河北省仏教協会々長明海大和尚・臨済寺慧林法師はじめ諸山長老、日本側から各派管長・老大師、各派宗務総長、各尊宿の随喜を賜り、また有縁の皆様の参列を賜り、ここに無事に円成した。
本年春より遠諱に関する様々な行事を通して臨済禅師の宗旨・行履・そして『臨済録』に示された珠玉の言行や説法に接してきたが、本日の厳粛な法要の中で、それらに直接触れられたような有難さを感じた。
この遠諱を期して南禅寺派では管長発願のもと、臨済禅師生誕の地に「臨済宗祖臨済慧照禅師生誕碑」を建立し、法流が益々昌(さか)え、禅の宗旨のもとに日中仏教界が益々親しく交流し、日中両国友好が大いに発展することを願って、明日南禅寺派は山東省菏澤市に於いて法要を行なうが、これもまたこの地での合同法要の勝縁によるものであろう。
本日の大法要を円成に導かれた中国の諸長老、日本の各派の大方尊宿・ご臨席の皆さまに厚く感謝申し上げる。最後に、長期間に亘り綿密な打ち合わせをもとに計画を立てられた臨黄合議所事務局各位・訪中団引率旅行会社添乗員の皆さま・関係各位に厚く御礼申しあげる」。

_AC_8385.JPG 最後に副団長の天龍寺派管長佐々木容道老師が、日中仏教界の和合を願い、お茶による乾杯の発声を行なった。
「本日は、正定県臨済寺において、日中合同で臨済禅師1150年遠諱大法要が盛大に厳修され無事円成できたことを、皆様と共に心からお喜びしたい。
どうかこれからも、臨済禅師の法恩に報いるべく、臨済禅師や過去の祖師方によって伝えられ、教示された仏法を、私たちが大切に護持し、行じ実践して仏法が益々盛んになり、世の中が平和に安穏に保たれることを祈念し、また、日中の仏教の交流が、これからも親密に行われていくことを願いたい」。

1時間余りの会食の後、司会の案内によりホテル正面にある河北省博物院で7日から17日まで開催する「中日仏教界記念臨済禅師1150周年連合書法展」(日中合同墨蹟展)の会場に向かった。
この墨蹟展は日本の各派管長・師家35点の墨蹟と、中国の諸山長老の墨蹟、書家の書等 33点を展示している。

_AC_8411.JPG 開幕式には、中国側は朱紀剛河北省党委員会統戦部副部長、崔暁輝河北省民族宗教事務庁副庁長、旭宇河北省書法家協会名誉主席、明海中国仏教協会副会長・河北省仏教協会会長、慧林河北省正定臨済禅寺住持が出席、日本側は有馬頼底相国寺派管長、横田南嶺円覚寺派管長、嶺興嶽妙心寺派管長などが出席した。

_AC_8434.JPG 中国側より挨拶に立った明海法師は、「千余年前に臨済禅師が滹沱河畔での一喝は、今日まで響き渡っており、今後も遠い将来にまで響き続けるだろう」と挨拶し、墨蹟展を通じて中日両国の禅僧交流の絆が一段と強まるものと強調した。

_AC_8440.JPG 続いて日本側より相国寺派管長有馬賴底老師が、開催に当たり準備に尽力した中国側に感謝の意を延べた上で、「今から9年前、河北省臨済寺より、日中仏教友好の証(あかし)として、両国高僧による墨蹟展を中国で開催したいという申し出が日本側に寄せられた。日中臨黄友好交流協会が窓口となり、臨黄各派の老師方にご協力いただき準備を進めていたが、臨済寺の住職不在の時期とも重なり開催には至らなかった。
今回、臨済禅師1150年遠諱の正当年に、日中両国諸大徳ご来場のもと、河北省博物館において日中合同墨蹟展が開催できることは、誠に喜ばしい限りである。
この墨蹟展を通して、日中両国禅僧の絆が深まり、日中両国人民世々代にわたる友情が発展することを祈念したい」と挨拶した。

_AC_8477.JPG 団員一行は観覧後、河北省趙県にある柏林寺を表敬訪問し,この日の行程を無事終えた。

IMG_4993.jpg 9月8日は、帰国するグループ(Aコース)と中国各地の祖跡を巡るグループ(Bコース)とに分かれ、石家荘を後にした。