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「合掌」の先には何がある?

(出典:書き下ろし)

 ren_2401a_link.jpg明けましておめでとうございます。本年も皆さまが多くの仏縁を結ぶことができるよう精進させていただきます。臨黄ネットをどうぞよろしくお願い申し上げます。

 「合掌」とは胸の前で手と手を合わせる礼儀作法の一種で、由来はインドにあり仏教の伝来とともに日本に伝えられたと言われています。私たちは仏像やご先祖様に手を合わせたり、神社で柏手を打ったりといったように宗教的動作で合掌することもありますし、それ以外にも普段の生活の中で意識するまでもなく、「ありがとう」と感謝を述べたり、「ごめんなさい」と謝意を示したり、あるいは「お願いします」と依頼をしたり、食事の前後に「いただきます」、「ごちそうさま」と手を合わせています。

 臨済宗東福寺派の生活指針では「合掌で拝む心にめざめ感謝の生活をしましょう」と掲げています。普段何気なくしている動作ではありますが我々が手を合わせる対象というのは拝むべき対象であり尊敬すべき対象であるということです。だからこそ何気なく合わせているその両手は何に向けて拝まれているのか一度立ち止まって考えてみるのも良いのではないかと思うのです。

 例えば食事を例にとって考えてみましょう。自分自身について振り返っていただきたいのですが、皆さまは昨日の食事の前後にきちんと手を合わせていたでしょうか? 言われてみると手を合わせていなかったり、あるいは覚えていないという事もあるのではないかと思います。
 主に禅宗において食事前に読まれる『五観の偈』の第一には「一つには功の多少を計り彼の来所を量る」とあります。目の前に用意された食事は、どこからやってきてどのように手間暇をかけて作られたのか、思いを巡らせましょうという教えです。目の前の食事だけに目を向けるのではなく、そこに至るまでの背景に目を向けてみると、よりいっそう食事に対する有り難さを感じ取りやすくなります。
 野菜嫌いの子供が「自分で野菜を栽培する」という体験をすると、嫌いだった野菜を食べられるようになったという話を聞いたことがあります。その子供にとって目の前の野菜がただの野菜ではなく「数多くの手間暇をかけて生み出されたありがたいもの」であると気付いたということです。目の前にあるものは変わっていなくてもそれを見るわれわれの心持ちによって見え方はいくらでも変わってくるのです。これが拝む心にめざめるということではないでしょうか。
 もちろん食事だけに限らず、ただ漫然と生活していると気付かない有り難さは実は生活のあらゆるところにあります。そういった有り難さの一つ一つに私たちが「気付いていく」事が大切です。合掌という日常にありふれた行為を通じてその合掌する先の存在に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

 令和6年が皆さまにとってよりよい年となりますよう祈念申し上げます。

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