病恩
(出典:書き下ろし)
お釈迦様は四苦(生まれる事・老いる事・病になる事・死ぬ事)に代表されるようにこの世は苦しみばかり、思い通りにならない事ばかりだと説かれました。そして私たちはこの思い通りにならない事から目をそらし、逃れようとすると余計に苦しむことになるようです。
健康だけが取り柄の私が10年ほど前の冬に風邪をひいた時の事です。ちょうど今頃の年の瀬で忙しい時でしたので、熱が下がると起き出して仕事を片付けようとする、するとまた熱が上がって寝込んでしまうということを繰り返し、病院へ何回も通院して点滴を打ってもらっていました。ついにはお医者さんに、「和尚さんはお寺に居ると、ついつい仕事をしてしまって完全休養ができないみたいだから、いっそう2、3日入院してはどうか」と言われてしまいました。「入院なんて大袈裟すぎるから」と断りますと、「では今は、とにかく病気を治す事に専念して下さい」と言われてしまいました。この「専念」という言葉で私はようやく気づかされました。「ああ、私は健康への過信と、仕事への焦りで、自分が病気であるというこの現実から目をそむけていた。病気を病気としてちゃんと受け止めていなかった」と。病気は予防する事もできますが、すでにこの体は病気になっているのですから、その苦しみから逃れることはできないのです。その現実から目をそむけ逃れようとして、余計に苦しむことになっていたのです。しっかりと自分の事として受け止めて治療していくしかなかったのです。それからは家族には迷惑をかけてしまいましたが、十分に休養を取らせてもらい、ほどなく完治いたしました。
有名な良寛さんの言葉に「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」という言葉があります。ここでは災難と死という例を挙げておられますが、四苦に代表される私たちの肉体的な苦しみや精神的な苦しみも、良寛さんのこの言葉に当てはまるのではないでしょうか。どんな事が起ころうとも、逃げも隠れもせず、すべて我が人生として受けとめる。逃れられないものだとはっきり悟って、そのままに頂戴する。そういう徹底した覚悟を持つ事が、その苦しみから逃れる方法だと言っておられるのです。
私はこの時「病いの苦しみ」を体験いたしましたが、お陰さまで良寛さんの言葉を親しく感じ取ることができました。そして当たり前に思っていた健康のありがたさ、そして看病してくれた家族の愛情の深さに触れる事ができて、病気はつらかったけれどもどこか幸せな気分でした。病気した事も無駄ではなかった。いろいろ気づかせてもらった病気に感謝しなければいけないと思っているくらいです。