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倒れたら倒れたなりに咲かせる花がある ~下載清風~

(出典:書き下ろし)

 myo_2309b_link.jpg禅の言葉に「下載清風」という教えがあります。
 今にも沈みそうなほど荷物を載せた船は重々しく、思うように前に進むことができません。重荷を港に下ろして軽くなった船は、帆が受ける風も清々しくとても軽やかです。執着やこだわりも下ろしてしまえば、心に清々しい風が吹いて軽やかに前に進むことができます。

 夏が過ぎお彼岸が近づいてくると、彼岸花が土から芽を出し天に向かって鮮やかな赤い花を咲かせます。鮮やかなその花の色だけではなく、神秘的なその姿は「曼珠沙華」=「天界の花」として仏教でも親しまれてきました。妖艶なその形姿に目を奪われた方も多いのではないでしょうか。

 高校三年生の秋、ラグビーをしていた私は高校生活最後の大会に向け日々汗を流していました。最後の大会が始まる二ヶ月前の九月のこと、私は練習中に右の足を骨折してしまいました。私は、「レギュラーとして最後の大会に出るために、これまで励んで練習してきたのはなんだったのだろうか。」と、まるで暗闇に突き落とされたかのように深く落ち込み、ラグビーボールを見ることすら嫌になってしまいました。
 何も考えられず呆然と数日過ごしている内に、やがて台風が来襲してきました。強風が吹き荒れ、木の葉や枝があちこちに散乱し、チラホラと咲き始めていた彼岸花も根元からなぎ倒されてしまいました。その数日後のことです。松葉杖を突きながら境内を歩いていると、台風で根元から折れた彼岸花が先端を再び天に向け、倒れながらも燃えるように鮮やかな赤い花を咲かせていたのです。私はその時、胸がぐっと熱くなったのと同時に「あーっ、これだ!」と心の中で叫んだのです。そして、心が折れたまま何もできない自分を恥じたのです。それまで「高校最後の大会までレギュラーでいたい」ということに執着していましたが、倒れても尚、上を向いて一生懸命に花を咲かせる彼岸花の姿をみてレギュラーでいるこだわりがスッと消えて心が軽やかになったのです。
 それからは、練習はできなくてもチームの為に練習前にボールに空気を入れることができるのではないか、練習中にチームメイトが飲むドリンクを準備することができるのではないかと気付き、積極的に裏方の仕事ができるようになったのです。すると、今まで当たり前のように蹴っていたボールも、喉が渇いた時に当然のように飲んでいたドリンクも、人並みに走ることができたこの脚も、すべて有り難いことだったのだと気付くことができたのです。高校生活最後の試合にグラウンドに立つことは叶いませんでしたが、倒れたら倒れたなりに咲かせる花があることを、あの彼岸花から学んだ気が致します。

 わたしたちはついつい余計なこだわりや執着にしがみつき、気付けば重たい荷物を背負ってしまいがちです。その重たい荷物を下ろしてしまえば、心に清々しい風が吹き足取りも軽やかになるのではないでしょうか。

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