多様性を一休さんに学ぶ
(出典:書き下ろし)
最近「多様性」という言葉をよく耳にします。社会、民族、性別、性的指向など、それぞれの人々が持つ多種多様な背景があります。問題はその多様性を認め、理解することが如何に難しいかということにあります。我々の周りでも多様性の言葉には理解しても、現実は存在自体に拒絶感をおぼえる人がいると思います。それが分断や遮断になり、対立を生んでいるのではないでしょうか。先ずは拒絶ではなく、「なぜこのように考えるのか」という、知ることが大切ではないでしょうか。
一休宗純(1394~1481)は室町時代の禅僧です。当時より多くの人から破戒僧、異端児などと揶揄されていましたが、一休さんは今からおよそ550年も前に、多様性の重要性と共存を説かれていました。
世の中は 乗合船の 仮住まい よしあし共に 名所旧跡
「この世の中は多くの人が共存していて、いずれあの世に往くまでの仮住まい。住んでいればお互いに良いことも、悪いこともありますよ。」
一休さんは、「この世の中には様々な考え方や想いが存在していて、そのような人々が一つの社会(乗合船)で生きている。だから自分の考えや想いだけが正しいわけではない」と説いています。
例えば「門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句があります。多くの人が正月は目出度い、楽しいと思っていることに対し、年をとることは死に近づいている。何が目出度いかと否定をしています。それは私達が思い込んでいるものに対し、別の見方を示しているのです。
晩年一休さんは、森侍者(しんじしゃ)という、若い、盲目の女性と同居していました。禅僧が若い女性と、さらに障がいをもたれた方々は生きていくことが厳しい時代、一休さんの行動に対して当時の人々は否定的に捉えています。しかし、男性で、年寄りで盲目でなかったら、何も問題にしなかったでしょう。そのことについて一休さんの言及はありませんが、「年齢、性別、容姿など差別するな。同じ人間やないか。」と言われるかも知れません。私達が自分達だけの価値観を押し付けているだけなのです。
現代になり徐々にではありますが、多様性の重要性が話し合われるようになりました。しかし、民族、思想や宗教など様々な過去の価値観から脱却できていないことも事実です。戦争や国家内の分断や対立で、自分とは違う人を切り捨てる傾向が見られます。「正しいこと」は「正義」とも言えますが、「正義」とは人が創ったものです。見方が変われば絶対に正しいとは言い切れません。宗教も同じです。時代の変化と共に考え直す部分もあると思います。
すべての人が穏やかに楽しく暮らせる乗合船の実現のために、まず相手の考えや想いに対し否定するのではなく、聞くことから始めることが大切ではないでしょうか。