鈴木大拙の世界シリーズ〔9〕
(出典:書き下ろし)
明治期から昭和初期にかけて活躍した禅学者、鈴木大拙(1870-1966)は、1945年に北鎌倉東慶寺の山上に財団法人松ヶ岡文庫を設立し、1958年から亡くなるまでの8年間を松ヶ岡文庫にて過ごしました。年齢としては九十代にも差し掛かる頃でありながら、『教行信証』の英訳など精力的に活躍されていました。
晩年の大拙博士に近侍した岡村美穂子氏の寄稿には次のようにあります。
大拙先生の住んでおられた松ヶ岡文庫に上っていくためには、東慶寺の門をくぐり、庭を通り抜けて、百三十段の石段を上る必要がありました。たいていのお客様は途中で息を切らして、一休みして上って来られました。そして、老齢の大拙先生はどうしてこんな高いところに住んでおられるのかと一様に思われたようです。
ある時、新聞記者の方がそのようにして石段を上って訪ねて来られて、インタビュウーをされながら、不思議そうに尋ねました。「先生はお出掛けの度にあの石段を上って帰られるのですか。」既に九十歳を超えておられた先生は言われました。「一歩一歩上るとなんでもないんだ。いつの間にか上っているんだ」。
ゆっくり、ゆっくりというのではなく、一歩一歩です。現実を確実に一歩一歩というのが身についておられたように思います。大拙先生があわてて急ぐお姿は思い出せません。(中略)
やはり、大拙先生の「一歩」は速度の問題ではなかった。「ここ」である「今」にしっかり立っておられるのがよくみえて来ました。「今」「ここ」に完全に立つことから全てが始まり終わっている。新たな「一歩」もそこから誕生してゆきます。(中略)
先生が自然に「一歩一歩」とお答えになったことは、それが先生の生き方そのものであったからだと思います。先生の一日一日が「一歩一歩」だったといえます。きっとこれが「平常底」だということが私にも伝わって来ました。
(『禅文化』百八十一号より)
例えば百三十段の石段を下から見上げてその長さにうんざりするというのは、どこかで「これから長い石段を上る」という未来に気を取られているからだ、と言うこともできます。もちろんですがこれは石段に限った話ではなく、未来、あるいは過去に「とらわれない」、というところに大切な禅の教えがあります。
禅の言葉には「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」という言葉があります。平常心(へいじょうしん)と読む場合には普段通り、日常の通りの心といったような意味合いになりますが、禅の言葉として用いる平常心(びょうじょうしん)とは何事にもとらわれないこころ、といったような意味合いになります。大拙博士が「一歩一歩上る」と言う時に、今まで上ってきた石段やこれから上るであろう石段は存在しません。過去、未来から切り離された「今」「ここ」にある石段に向かってただただ一歩を踏みしめる大拙博士の姿そのものが教えであるということです。見栄を張ることもなく、取り繕うこともないそのままの「なんでもないんだ」という言葉こそが平常心そのものであり、この言葉が自然と出てくるところに、禅者・鈴木大拙博士の魅力を感じます。
私たちが普段生活している時には、過去から学び、未来に生かしていくという思考プロセスはごく当たり前に受け入れられていますし、そういった能力を例えば「段取り力」と呼んだりして重要視する傾向さえあると思います。高齢の大拙博士が百三十段の階段の先に住むことに何の合理性も感じないというのも現代を生きる私たちの感覚としてはある意味正しいでしょう。しかし、禅の教えはこの「得か損か」といったことを考える合理性を超越した先にあるということも忘れてはなりません。時に世俗の合理性から離れて「今」「ここ」に一心に徹するということも実は私たちのこころを調えることに繋がっていくのです。
*参考図書:上田閑照・岡村美穂子編(2002)『鈴木大拙とは誰か』岩波書店