鈴木大拙の世界シリーズ〔1〕
(出典:書き下ろし)
3月に入り少しずつ寒さも和らぎ、春の足音を感じられる時節になってまいりました。ただ、本年も年明けから新型コロナウイルスの新種株の感染拡大により再び私たちの社会生活に大きな影響が出ました。長引くコロナ禍での生活において生じる経済的な不安、将来への不安、自由を制限されることによるストレス等が蓄積し、心のバランスを崩して鬱病を発症するケースも出てきております。今はとにかく「当たり前の日常」が一日も早く戻ってきてくれることを祈るばかりです。
さて、明治から昭和という激動の時代に活躍され、欧米に禅を知らしめた偉大な仏教学者である鈴木大拙居士でありますが、その人生は決して順風満帆なものではありませんでした。大拙が幼い頃に父親が他界したため鈴木家は次第に困窮することとなり、学費を払えずに学校を途中退学することとなります。向学心の強かった大拙にとってまさに逆境でありましたが、そこで挫折することなく、限られた学生生活の中でも深い教養と堪能な英語力を身につけられました。また大拙は円覚寺の釈宗演老師とのご縁で単身アメリカに渡り、仏教経典や中国の古典を翻訳する仕事に従事されます。しかし、難解な漢文を英訳する作業は困難を極め、仕事内容に応じた適正な報酬を頂けないことも重なり、大拙にとっては大変苦しい生活でありました。しかしここでも大拙は諦めることなく多くの書物を翻訳し、欧米に仏教文化を広く知らしめました。
大拙は著書の中で、
禅は行動することを欲する。最も有効な行動は、ひと度決心した以上、振返らずに進むことである。この点において、禅は実に武士の宗教である。
(鈴木大拙『禅と日本文化』第三章「禅と武士」より)
と述べられています。
大拙が度重なる逆境にも立ち向かうことができたのは、大拙自身の反骨心の強さもさることながら、鎌倉円覚寺での厳しい参禅修行で培われた経験が大きかったのではないかと思います。また大拙はこのような言葉も残されています。
たとえばここに林檎が一つある。林檎はできる時に、儂(わし)は今赤くなって、こういう形になって、こういう時季に成熟してやろうとは考えない。(中略)林檎自身は初めての種子のときも、地中に落とされたときも、水を潤おされたときも、そのもとの仏の誓いそのままで、あらゆる因縁の中に、無心に生きのびて行くだけのことなのです。(中略)何事も仏の誓い-あるいは命と言ってもよい-そのままに生きて行くだけです。」
(鈴木大拙『無心ということ』より)
大自然の中で生きている林檎の木は無心に成長して花を咲かせ、大きな実を結んでいきます。そこにはなんの計らいもありません。たとえ日照りや台風などに見舞われたとしてもそこでじっと耐え偲び、その命をつないでまさに無心に生きています。大拙は林檎に自らの姿を重ね合わせ、様々な世の不条理という現実をありのまま受け止め、その上で自らどう生きるべきかという道を模索し、日々淡々と為すべきことを為していく、それが無心に生きることであると言われています。
現代社会は大拙が生きた時代とは異なりますが、コロナ禍を契機として社会不安が増大し、様々な不条理な問題が起こっているという点では同じではないかと感じます。その不条理な現実に対しても心を波立たせることなく、静かに自己と向き合い、心を調えていくことが大切ではないでしょうか。そして、現実を受け入れた上で日々感謝の念を忘れることなく、即今只今を精一杯生きていくことにより、心には「安心」が芽生え、この逆境を乗り越えた先には新たな未来が開けてくるのではないでしょうか。
(文中敬称略)