四十二章経の教えシリーズ〔21〕
(出典:書き下ろし)
この夏、記憶に残るシーンがありました。全国高校野球、甲子園大会の決勝戦でのことです。勝利の瞬間、いつもならマウンドに歓喜の輪ができるのに、優勝した智弁和歌山高校の選手達は何事もなかったかのようにホームベースに整列しました。それは、戦った相手に敬意を表わすためでした。
智弁和歌山高校には、昨年の12月にあのイチローさんが指導に訪れました。3日間の指導が終わって通常練習が再開した時、野球部の中谷監督は選手たちに問いかけました。
「『あの3日間、よかったな』で終わらせちゃいけないんじゃないの?」と。
「いつも、あの3日間のようなスタンスで、あの時と同じ気持ちでやっていってほしい。いつもイチローさんがくると思って、グラウンドの周りを掃除したり、気になることを放っておかずに、ちゃんとやらなきゃいけないんじゃないの?」と。
『四十二章経』の「第三十八章」に次のようなお言葉があります。
次のように釈尊は説かれた。
私の弟子たちは、私のもとを去り、たとえ数千里離れていたとしても、忘れることなく戒を修行すれば、必ずブッダの道を完成できる。たとえ私の側にいたとしても、まちがったことを考えて修行を怠れば、いつになってもブッダの道を完成できない。
大切なことは実行するかどうかである。私の側にいても、実行しなければ一万分の一も得るところはない。
(服部育郞『ブッダになる道『四十二章経』を読む』より)
戒の原語は「シーラ」といい「習慣」という意味があります。何度もくり返すことによって、習慣になります。誰かの命令ではなく、自主的に善いことを実践し、それが習慣として身についていくことです。
イチローさんは「ずっと見ているから、ちゃんとやってよ」とエールを送っていました。その言葉に選手達は見事に応えました。マウンドに集まらなかったのも自分たちで考えての行動でした。
キャプテンの宮坂選手は、「『礼に始まり、礼に終わる』ので、礼が終わってから、全員で喜ぼうと話していました」と皆なの思いを語っています。
大切なのは、自ら考えて実践することです。学校や会社で、自分が信頼し尊敬できる先輩や上司の側にいても、実践していなければ何も学びを得ていないのと同じことです。そう考えれば、誰にでも経験があるのではないでしょうか。
12月は一年を振り返る良い機会です。今年、胸を張ってちゃんとできたと言えること、幾つありますか。私はできなかったことばかり思い浮かびます。来年こそは少しでも、ちゃんとできますように。
参考URL
・Number Web「イチローと智弁和歌山ナインの距離が縮まった”10回ジャンプ” 「ものさし」を知った濃密な3日間」
・イチローさん 野球人生第2章 高校球児に伝えたかったこと【news23】