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鈴木大拙の世界シリーズ 導入編〔2〕

(出典:書き下ろし)

 ren_2112b_link.jpg禅は、今や英語でもZENと言われるほど世界で知られています。この禅の教えや思想を早くから西洋に広めた一人として、鈴木大拙の名は外すことができません。
 大拙は本名を貞太郎(ていたろう)といい、明治3年金沢に生まれ、21歳の時に鎌倉円覚寺の今北洪川老師を訪ね、参禅を始めました。洪川老師はそれから間もなく遷化(せんげ)され、大拙はその法を嗣がれた釈宗演老師の下で、更に参禅生活に没入したのであります。
 6歳の時に父を亡くした大拙は、苦しい経済状況の中にありながら勉学に励んでいたようです。特に優れた英語力は、後にシカゴで行なわれた万国宗教会議での宗演老師の原稿英訳をはじめ、10年に及ぶ在米生活に於ける東洋思想の研究に活きていったのであります。

 大拙の伝えた思想や功績は語り尽くせませんが、その生き方には二つの側面をうかがうことができると思います。一つは、在家にありながら仏道を求め修行する「居士」という立場を生涯貫いたことです。大拙は出家者と共に円覚寺専門道場にて禅の実践修行をし、宗演老師の下で見性体験(悟りの境地に目覚める)に至るほど、真剣に参禅に打ち込まれました。「大拙」という名も宗演老師から与えられた居士号であります。今でも円覚寺では居士禅が盛んだそうですが、大拙の若かりし明治期には、在家にありながら出家者にも劣らぬ求道心をもって禅に参ずる居士が、多く活躍していました。幕末維新にはまだ自らの命を懸けて生きる武士道が残っており、その精神は禅の世界と通じ合うところがあったのでしょう。ともあれ居士の姿は、禅仏教は決して僧侶だけのものではなく、僧俗問わず誰にでも門戸を開いているということの象徴ではないでしょうか。
 大拙は著書『禅堂生活』でも日本に於ける禅について、「禅は今日、日本にあって生きた精神力であり……国民の性格形成と文化の発達に関係するところがある」とし、「禅堂はもっぱら僧のみのために設けられた制度ではけっしてない」と述べています。

 もう一つ大拙が大切にしていたことは、禅は単なる知識ではなく、実生活の中にこそ生きているということでしょう。前出の著書で「禅の哲学は、もちろん仏教の哲学であり、とくに般若経の哲学であって、そのうえに華厳経の神秘主義の色彩が多分に付け加えられている。しかし実際のところは、禅は一つの修行であって、哲学ではないのであるから、ただちに生活そのものを取り扱うのである」と記していますが、大拙の展開する禅思想に説得力があるのは、偏に自身が知識にとどまらず体験を重視したことに依るものでしょう。

「参は須く実参なるべし、悟は須く実悟なるべし」(『無門関』第四則)

と言われるように、師から与えられる公案(禅問答の課題)は実生活での工夫が必須です。本で読んだ料理のレシピを知っていても、実際に美味しい料理ができるとは限りません。素材の鮮度を見極めたり、味の調整をするのは料理人の感覚です。

 随分前のお葬式でのことです。故人の家族に大学院で仏教哲学を学んでいるという人がいて、火葬場での待ち時間に色々と質問を受けたことがあります。仏教の専門的なこともよくご存じのようでした。やがて収骨の場に移りますと、遺骨を載せた台の周りで子供たちがふざけている。しかし、家族の中で誰一人注意する人がいません。いくら仏教の知識を持っていても、亡き人と真剣に向き合えないようではその知識は何の役にも立たないと思ったのでした。
 もちろん多くの人に説明するには広い知識が必要ですが、その知識を生きたものにするには実践行は欠かせません。禅の探求には”学”と”行”の両輪が整うことが大切なのです。大拙の思想は深い行に裏打ちされているからこそ、現代の禅仏教界に大きな影響を残しているのでしょう。私にとってはまた、自らの修行生活の思想背景を再確認する拠り所として、大拙は偉大な存在なのであります。

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