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鈴木大拙の世界シリーズ 導入編〔1〕

(出典:書き下ろし)

 ren_2111a_link.jpg2021年は欧米に禅を広く知らしめた偉大な仏教学者、鈴木大拙(すずきだいせつ 1870~1966)の生誕151年、没後55年という年に当たります。大拙の著述は膨大で今日、四十巻もの全集(岩波書店)に収められています。

 鈴木大拙が禅と出会ったのは21歳のとき、鎌倉円覚寺で今北洪川老師に参禅したのが縁で、その後釈宗演老師につき26歳のときに見性(悟り)体験をしています。またこの間、大拙は早稲田大学の前身である東京専門学校で坪内逍遥(つぼうちしょうよう)に英文学を学び、1893年にシカゴで開かれた万国宗教会議での宗演老師の講演原稿を英訳しました。英訳の際にはやはり当時円覚寺で宗演老師に参禅していた夏目漱石にも原稿を校閲してもらっています。大拙の多くの著述は英語で発表されていて、このことが欧米に仏教、特に「禅」が「ZEN」として広く知られる由縁になります。
 鈴木大拙の偉大な生涯や思想などは、前に述べた全集や多くの研究書を繙けばその片鱗に触れ知ることができるかもしれません。しかし、一般にはこの大山脈に足を踏み入れ踏破することはなかなか容易なことではありません。そんな中、昨秋、円覚寺横田南嶺老師監修、蓮沼直應編の『鈴木大拙一日一言』(致知出版社)が上梓されました。この本は大拙の膨大な著述から簡潔なタイトルをつけ紹介されていて、実にわかりやすい大拙語録となっているので一読をお薦めします。

 ところで、私は父から鈴木大拙の話を聞いたことがありました。父は若き日、円覚寺で修行をしていたことがあり、大拙との思い出を私に話しました。ただ父は私が子どもの頃に亡くなったので、聴いた内容の多くは憶えていません。
 そんな父の話でひとつ記憶に残っている話があります。それは大拙が可愛がっていたネコが父の坐禅をする単蒲団(たんぶとん)で仔ネコを産み、父が困っていると大拙が謝ってくれた、というものです。この話は子ども心にも微笑ましく思い今もよく思い出します。大拙が晩年までネコに名前をつけて可愛がっていたことはよく知られていますが、私はこの父から聞いたネコの話から、不遜にもその後鈴木大拙という人にある種の親しみを抱いてきました。
 そして、この親しみやすさは私の学生時代に、大拙と同郷(石川県)の友人で哲学者、西田幾多郎門下の西谷啓治がある日の講義で、「鈴木大拙の禅に対する信念は”衆生無辺誓願度”の弘願として自覚のうえになりたっている」という話をされ、大拙が説き語る禅仏教の教えの究極はここなのだと知りました。「衆生無辺誓願度」はご存じのように菩薩が願う四つの誓い(四弘誓願文)のお経の冒頭の言葉で、一切の生きとし生けるものすべてを悟りの彼岸へ渡そうと誓う、ということです。ちなみに四弘誓願文はこの後、

煩悩無尽誓願断(一切の煩悩を断つことを誓う)
法門無量誓願学(仏の教えを学び知ることを誓う)
仏道無上誓願成(この上ない悟りに至ることを誓う)

と続きます。西谷はそのとき更に、大拙が西田幾多郎に宛てた手紙の一節を引き、次のようなことを話されました。大拙は四弘誓願の冒頭に衆生の救済の誓いを揚げているのは、この誓願がなければ人生は無意味だといい、煩悩を断つ要件は衆生救済のためなのだ、と。
 私たち仏教徒はいずれにしても大拙がいうこの誓願を禅という旗印にして、日々精進していかなければならないと思うようになりました。

 この法話の最後に大拙の数多くある逸話のなかから私の好きなひとつを紹介します。

 大拙最晩年のある日、心霊学の大家が大拙を訪ね死後の世界についていろいろと話しましたが、大拙は一向に関心を示しませんでした。そこでその心霊学の大家が、「大拙先生は死んでからどうなるのか知りたいと思われたことはありませんか」と訊ねました。すると大拙は、「そんなことより、今、ここに在ることはどうなのか……。死んでからでは、遅くはないか」と答えました。この逸話に禅者鈴木大拙の面目がよく現われていると思います。

(文中敬称略・大拙居士55年目祥月之日に記)

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