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四十二章経の教えシリーズ〔17〕

(出典:書き下ろし)

次のように釈尊は説かれた。

 修行者たちがブッダへの道を修めることは、牛が重い荷物を背負って、泥沼の道を歩いていくようなものである。牛はどんなに疲れても、左右を顧(かえり)みることなく歩いていく。そうして、牛は泥沼の道から抜け出たところで、ほっとして息をつく。[その様子は、修行者が道を歩んでいく姿に似ている。]
 修行者が情欲におぼれるのは、牛が泥沼にはまった姿よりひどいものである。心をまっすぐにして、ブッダの教えを忘れなければ、もろもろの苦しみから逃れることができる。

(『四十二章経』第四十一章より)

 ren_2104a_link.jpgイソップ物語、ジャータカ(仏教説話)あるいは日本昔話など洋の東西を問わず、人間の心情や行ないを動物に譬えた話がよくあります。オオカミや狐、狸といった動物はあまり善くない譬えで使われることが多いのに対し、牛は善い譬えとして語られることが多いです。それは忍耐であったり、智慧であったり、慈悲であったりです。特に禅の世界では、十牛図(八牛図の場合もある)として、修行のあり様が、絵と文章で語られています。仏典にも度々重んじられる動物として書かれているのには、牛の働きの姿であるのはもちろんでしょうが、釈尊の幼名ゴータマ・シッダールタのゴータマが、最上の牛という意味というのも要因のひとつかもしれません。

 山間の稲作農家の子として生まれた私の幼少期は、父がまだ牛で田んぼを耕していた時代であり、父が言うのには、「水田を耕していると、田んぼのある所にさしかかると牛が動かなくなる。何故動かないのかと追い縄でたたくも動かないので少し方向を変えると動き出したが、よく考えてみると、昨年耕していた時、その場所で足をとられて往生したことを思い出した」と。耕作者の自分が忘れていても牛はちゃんと覚えている賢いものだと、聞かされたことがありました。
 拙寺の本尊は、丑年・寅年の守り本尊で、厄除けと智慧を授けて下さる虚空蔵菩薩です。十三仏の第十三番目の仏さまで、三十三回忌の役仏でもあることから三と十三で、毎年3月13日が虚空蔵菩薩の縁日(京都・大阪では月遅れの4月13日)として、特に数字に縁のある数え年13才の方がお参りをする「十三まいり」という行事があります。男女共に共通の厄年に当たり、厄除けと智慧が授かるようにと願っての祈祷をしています。
 令和3年丑歳は、新型コロナウイルスの禍を受けての年明けを迎え、今も多くの人が苦難を強いられています。ここはひとつ牛にならって、忍耐と生まれながらに備わっている智慧をよく活かして、急がずともゆっくり確実に厄難が除かれていかんことを願います。

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