真心尽くせ人知らずとも
(出典:書き下ろし)
あれを見よ 深山の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも
(詠み人知らず)
明けましておめでとうございます。令和二年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により私たちが今までに経験したことのないような我慢の一年となりました。令和三年には状況が改善し、皆様が少しでも良い方へと向かっていけるような一年となりますよう願って止みません。その一助となりますよう祈念して、本年も皆様と一緒に禅の教えを深めて参りたいと思っております。
さて、冒頭に紹介した歌は、布教師の故・松原泰道師が大切にされていた言葉で、自身の生きる姿勢が決まった言葉だとも言われています。深い山奥で人目につくこともなく咲き、そして散っていく桜。誰の目につくことはなくても変わることなく桜はその一瞬をひたむきに生きている。その姿から私たちが学べることとは何でしょうか。
私たちは知らず知らずのうちに「見返り」を求める生き物なのだとよく言います。見返りとは言い換えれば報酬です。金品といった目に見える報酬もあれば名声や評判といった目に見えない報酬もありますが、共通するのは自分にとって得になるということです。しかしこの得というのはあくまで目先のものでありずっと続くものでもありません。それどころか自分の行動が見返りに縛られてしまい、新たな苦しみを生み出す元凶となることさえあります。こういった苦しみから逃れるためにはまず目先の損得勘定から離れていくことが必要になります。「真心尽くせ 人知らずとも」という言葉が表わすように、あれこれと考えを巡らせるのではなく、一度考えをリセットして目の前の仕事を一所懸命、ひたむきにこなす事のみに集中する。集中している瞬間には見返りが頭をよぎることや人の目が気になることはありません。結果として私たちの心持ちは落ち着きを取り戻し、自然と良い方向へ向かっていけるのだということです。
もう一年ほど前のことになりますが、私がたいへんお世話になりました布教師の和尚さまのお話を拝聴させていただく機会がありました。この和尚さまは松原泰道師の指導の下で布教師の資格を頂戴したというご縁があり、その当時のお話もいろいろと聞かせていただきました。
阪神大震災の翌年に神戸で催された、とある松原師の講演に伺ったときに、自分の持っている扇子を渡して、何か一言書いてくださいとお願いされたそうです。これに対して松原師が書いた言葉が、冒頭に紹介しました歌でありました。当時、住職を任されたお寺の再興に東奔西走する和尚さまへの激励の言葉でもあったのではないかと思います。このときの扇子を和尚さまは今でも大切にされていて、自分の宝物であると嬉しそうに語っておられました。
和尚さまは「神仏は我が心の内にあるということを毎日の生活の中から見いだして、小さな喜びを大きく喜べるような心を養っていただきたい」と述べてお話を締めくくられました。長年の布教伝道経験から出る真心からの言葉に自分自身の気が引き締まる思いが致しました。日々の生活の中にある何気ないことの有り難さを、素直に有り難いと思えるこころの豊かさを忘れることなく、日々精進していくことの大切さを教えていただきました。
世の中は難しい局面に差し掛かっておりますが、それでも教えというものは日々の生活の中の様々な場面にあります。どんな小さなことであってもそれに気付き、自分の心を豊かにするための教えとして受け取れるよう私たち一人一人の問題として日々精進して参りましょう。