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四十二章経の教えシリーズ〔13〕

(出典:書き下ろし)

ren_2012a_link.jpg 「間違い」とは何でしょう? 世間にある風潮とのズレでしょうか? 自分の信念に背く事でしょうか? 価値観は人それぞれであると思います。ただ一つ確かに言えることは、自分が間違えた!と気付いた時、すぐ反省できる方は素晴らしい方だということです。
 昨今の世の流れでは、間違えるという事に特に厳しくなっているように見えます。しかし、人間は間違いをしたくなくてもしてしまいます。自分で、または誰かに言われて自分の間違いに気付いた時に投げやりにそのままにしてしまうか、すぐに反省し、改めるか。正しいことはどちらかわかっていても自分の間違いを心底認める事は中々に難しいものです。時にまわりの厳しい指摘に反発し、余計に意固地になってしまう事もあります。
 お釈迦様は自分が間違いと気付いたら、すぐさま反省した方がいいと我々に促してくれています。間違えた!と気づき反省する時に新たな自分への気づきがあるという教えです。

『四十二章経』の第四章の中で、

「悪いことをしてもそれが良くない事であったと気付き、自ら反省し、過ちを悔い改め、善いことをしつづけていけば、これまでの罪は日ごとに消滅して、ついには道を得る事ができる」

とあります。
 間違いは無くすことはできないけれども、放っておくとまわりに、あるいは自分に更なる迷惑を掛けてしまう。間違っていた自分をまず認識しないと人生の道が更に困難になる。間違えた!と気づき反省し自分を改めると、間違いは消えて、人生の大事な気づきがあるとお釈迦様から伝えられています。
 「間違い」は虫歯のようなものです。自分が気づいていながら、放っていては自分の痛みが増すばかり。虫歯の治療には歯医者さんに行けば良いのですが、「間違い」の治療には自分が心底反省し、自身を改める事が必要になります。時代を経てもこれは我々に共通して大切なことです。

 便利な時代になりまして、昔の達人たちの落語を気軽に聞けるようになりました。「芝浜」という古典落語の演目があります。私は特に立川談志師匠の語り口が好きです。有名な噺なのであらすじだけお伝えします。

毎日奥さんに働かないことをどやされている酒飲みの腕のいい魚屋さん。
ある日、浜で大金の入った財布を拾います。
これで毎日飲んで暮らせる、と思い浮かれて帰り、お酒を飲んで眠ります。
起きて奥さんに聞くと「財布を拾ったのは夢だった」との事。
散財し、働かなかった自分を心底から反省し、酒を止め、
改めて仕事に打ち込み、魚屋として大成します。
三年目の大晦日、奥さんから「実は夢では無かった。」
と、真相を打ち明け、心からの謝罪があり……

というお話です。

 美談として語られる噺ですが、魚屋さんの心情、奥さんの心情を色濃く語る立川談志師匠の人間臭い「芝浜」がなんとも好きです。亭主に働いてもらわないと生活ができない時代、お酒が好きでついつい飲み過ぎてしまう亭主を、奥さんは何とか正そう、正そうと苦心します。しかし、なかなか変わらない。飲み過ぎてしまう、という「間違い」に気づいていても、投げ遣りにそのままにしていた時に、大金を拾ってきて散財したが、夢であったという大事件。その時に自分の間違いに心底気づき、ガラッと改める事ができた魚屋さんは、奥さんという自分の大事な存在に気づけました。
 間違いに心底気づいたら、すぐに改めるよう自分と向き合う。大事な事を教えてくれる噺として聞かせて貰いました。

 間違えたくなくても人は間違えてしまいます。誰かに指摘される時もあれば、実は自分で気づいている事もあります。気づいた間違いに対してどう向き合うか。自分を反省し、改め、新たな自分と出会う大事なきっかけです。
 何かと忙しく、厳しい時代なのはいつの時代も変わりません。だからこそ自分を見つめる時間を持ち、自分の間違い探しをして、反省する時間を持ちたいものです。

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