四十二章経の教えシリーズ〔11〕
(出典:書き下ろし)
この原稿を書いている8月初旬、全国的に連日多くの新型コロナウイルスの感染者が出ており、世間は非常に不安な日々を過ごしております。なかなか思うような経済活動もままならず、日々ストレスを感じる方も多いのではないでしょうか?
お寺としましても、例年行なっておりました檀家さんを集める行事や、お盆のお参り等も縮小、中止が相次いでおり、とても寂しい思いをしております。
そんな誰しもがストレスを感じる中、更に人災とも言うべき悲しい事件も起きてしまっております。大都市から地方への帰省中の方への誹謗中傷や、ウイルスに感染してしまった方への心無いバッシングなど連日ニュースで取り上げられております。
こういう非常事態の時だからこそ、皆で足を引っ張りあい嫌な思いをするのではなく、支えあっていきたいものです。
釈尊、お釈迦様は四十二章経というお経の中で
天地を見て非常と想い、山や川を見て非常と想い、万物の盛んな躍動を見て非常と想い、そのことによって執着する心を持たなければ、早く悟りの境地に達する事ができる。
(『四十二章経』第十六章より)
と、説いておられます。
非常とは、常に非ず、常では無いことを指します。この世界の一切のものは常に移ろいゆくものである、という事を理解して、それによって儚さや、虚しさの感情に囚われるのではなく、常では無いことを受け入れて、前向きに努力を重ねていく事、それが大切である。
平易な言葉にするとこのようになると思います。
私達は、つい色々な事が当たり前にできるものだと思いこんでしまいます。昨日できたことが今日もできた。去年できたことが、今年もできた。これは当たり前の事ではなく、常に移ろいゆく世界の中でできた、とても感謝するべき事なのではないかと思います。
皆が日常のささいな出来事でも前向きに捉え、常ではない事を理解して感謝をする事ができれば、少しずつではありますが、お互いに支えあって生きていく事ができるのではないでしょうか。
私も新型コロナウイルスによって生活が変わる以前は当たり前に行なっていたもの、例えば友人や近所の方との触れ合いや、ちょっとした外食など、緊急事態宣言によって自粛をして、改めて友人や近所の方の大切さ、息抜きの外食の有り難さを再認識致しました。
自戒の気持ちを込めまして、今回は常に非ず、ということについて書かせて頂きました。
一刻も早い、新型コロナウイルス感染拡大の収束を祈念致します。