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四十二章経の教えシリーズ〔9〕

(出典:書き下ろし)

 次のように釈尊は説かれた。
世の中には五つの難しいことがある。[すなわち]貧乏でありながら布施することの難しさ。高い地位にありながら、ブッダの教えを学ぶことの難しさ。命を捨てるつもりでもなかなか死ねない難しさ。ブッダの教えにめぐりあうことの難しさ。ブッダのいる世界に人として生まれることの難しさ。

(『四十二章経』より)

 お釈迦さまは、この世には5つの難しいことがあると述べられ、それらを示しながら仏道を歩むにあたっての大切なことを伝えておられます。
 簡単に申し上げると、今、私たちは得難き人の命を得、会い難き仏法に会えたというこの幸運な機会を決して無駄にしてはならない。怠けることなく、真摯な態度で仏法を学び、仏道を歩まなければ、その真髄を得ることはできないと仰っておられるのでしょう。
 
 この5つの困難全て(守遂本では更に15を加え20の「困難なこと」が列挙されている)をお話しするには時間がかかり過ぎてしまいますので、最初にある「貧乏でありながら布施することの難しさ」についてのみお話しさせていただきます。

 お釈迦さまは、たとえ貧困の中にあっても他人のために布施することが不可能だとは仰っておられません。貧しいながらにもできる布施は沢山あります。物やお金が無くてもできる「無財の七施」などもあります。逆にお金に余裕があるから布施をする、というのでは真の布施にはならないでしょう。貧しいながらもその中で分け合っていくことの大切さを説かれているのです。貧しさ、苦しさを知っている人の方が、他の人の苦しみをよく知ることができます。相手の痛み苦しみを自分のものと受け止めたとき、布施は容易に、また自然に行なうことができるのです。

ren_2008a_link.jpg ボランティア団体「アジアの女性と子どもネットワーク」の設立者で代表を務めるマリ・クリスティーヌさんについて、このようなお話があります。
 タイ北部の山村にある学校を訪問した時のこと、子どもたちが山岳民族の踊りを披露して歓迎してくれたそうです。その後、先生が子どもたちと日本から来た彼女たちにビスケットを配り始めました。日ごろお菓子など口にすることができない子どもたちは、特別なプレゼントに大喜びでした。
 しかし、どうやら先生が数を間違えていたようでビスケットが足らなくなってしまいました。彼女はとっさに、大人は辞退して、子どもたちに配るよう先生に指示を出し、無事に全員の子どもにビスケットを配布することができました。早速、子どもたちはそのビスケットをほおばり始めたのですが、彼女の横に座る子どもが、自分に配られたビスケットをそっと彼女に差し出したのです。遠方から来てくれたお客さんに対して彼女なりに最大のおもてなしをしようとしたのでしょう。
 「わたしは大丈夫だから、食べたらいいのよ」と、身振り手振りで伝えると、その子はビスケットを手に挟んだまま食べずにじっと見つめていましたが、しばらくするとビスケットを半分に割って彼女に渡してきたのです。大切なビスケットを割ってまで渡そうとした姿に、彼女は胸がいっぱいになってしまったといいます。
 この子どもは、お菓子が食べられない悲しさをわかっているからこそ、独り占めせず彼女にも分けようとしたのでしょう。
 自分を思うとき、布施は困難なこととなるのでしょうが、人を思うとき、布施は決して困難なことではなくなるのです。布施せずにいられない、そんな心を誰しもがもっているのですね。

大切なのはどれだけ多く施したかでなく、それをするのにどれだけ多くの愛を込めたかです

マザー・テレサ

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