四十二章経の教えシリーズ〔5〕
(出典:書き下ろし)
次のように釈尊は説かれた。
ブッダへの道を修行する者は、たとえば真っ暗な部屋の中へ松明の灯りをもって入るようなものだ。その時、たちまち暗闇はなくなり、明るさだけに満たされる。ブッダの教えを学んで、真理をみるならば、無知はすべてなくなり、知らないことがなくなる。
【解説】
「智慧」は、仏教では特に重要な用語である。修行とは智慧を得ることによって無知を克服していくことともいえる。
(『四十二章経』第十四章より)
「桃李(とうり)もの言わざれども、下(した)自(おの)ずから蹊(けい)を成す」
(『史記』より)
令和2年3月中旬の早朝、Sさんの娘さんから電話がありました。「母が亡くなりました」との訃報。Sさんの晩年は、難病をいただきながらの75年間のご生涯でした。
平成16年より当寺との仏縁を結び、以来、寺の行事には毎年欠かさず参加されていました。8月16日の「お盆の送り火法要」には、二人の孫を連れて、先立たれたご主人とご先祖様のために塔婆を供養されます。その後の「お楽しみ音楽会」では、丁度その日が誕生日の孫のために、 “ハッピバースデイ”を参拝者といっしょに合唱されました。
また、平成24年の南禅寺第二世「南院国師七百年遠諱」本山参拝には、授戒会に参加されて『嘉祥』という二字の戒名を管長様よりいただかれ、心身共に仏弟子になったと喜んでおられました。
Sさんは、社交的で人様へのお世話がお好きで、いつも太陽のような明るさを持ちながらも細やかに周りを気づかわれ、理知的なお人柄でした。
月参りにいくと、お手製のイチゴ大福・シフォンケーキ・季節を取り入れた色とりどりの押し寿司…をご馳走になり、寺族にまでお土産付きでした。
入院されてからのご様子を伺うと、難病という底知れない恐怖をかかえながらも、Sさんらしく精一杯に療養しながら、もうすでに人生の何たるかを達観されていたのでしょう。「楽しかった、ありがとう」と言って亡くなりましたと、枕経のあと娘さんから聞きました。
戒名を『桃李院妙香嘉祥大姉』と名付けました。桃やスモモは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。桃李の美しい花の姿や、かぐわしい花の香りのようなあなたの人徳は、周りの人々を優しく包み込み、穏やかなこころを育んでくれるのです。
「引導送別の一句」
梅 春を告げ 桃 春を歌い 桜 春を送れば 万事無事
山野時々の色ありて みな好時節 喝!
ご家族、ご親族、ご縁のあった人たちに暖かく見送られながらのお葬式でした。
松明の灯りは智慧のはたらきということです。Sさんの、一時一所に人を思いやり、明るく暮らしていかれた生き様は、松明の灯りのように私達を導いてくれます。