死を覚悟してこの一日を生きん
(出典:書き下ろし)
私たちは普通に生きていると、ただただ流されるままに日々が過ぎてゆきがちではないでしょうか?
何に流されるかというと、さまざまな欲望にも流されますし、周りの状況や流行りなどにも流されますし、流されがちなまま惰性で過ごしがちなのが、私を含め多くの普通の人の陥りがちなあり方かと思います。
私自身、欲望や環境に流されがちなクセは、死ぬまで無くならないクセではないかと思いはじめているくらいです。
このようなあり方を救ってくれる薬のようなものはあるのでしょうか?
この人生の根本問題に対する良薬は、命が限られたものであること、今日死ぬかもしれないことを、絶えず心に新たにすることではないかと思います。
アップル社を作ったスティーブ・ジョブズが有名な講演の中で、17歳の時に次の言葉に出会ったと語っています。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」。
彼は17歳の時から、死ぬまで、毎朝、鏡の前に立ち、この言葉を自分自身に向かって投げかけました。「今日が最後の日だとして、お前がやろうとしていることは、それで良いのか?」と毎日、自分に問いかけたとのことです。
「今日が人生の最後の日」ということは、必ず当たる日が来ます。
その日がいつかは、前もってははっきりとはわかりません。一番早ければ今日かもしれませんし、数十年後かもしれません。ですが、「平均年齢から考えると、あとウン十年くらいは生きるだろう」などと思って生きていると、だらだらと時を過ごしてしまいがちです。
「今日が最後の日だとして生きる」ことで、ウカウカ生きるあり方を脱し、本当に大事なものに向かって生きる可能性が開けると思います。
禅の修行においてもこれは基本中の基本です。『禅関策進』という禅の修行者にとっての座右の本においても、同様の叱咤激励が繰り返されています。
「大晦日(人生最後の日)になって、あわてふためいても遅いぞ!」
「喉が渇いてから、井戸を掘るようなことをしていて、どうする?」
今日死ぬとしても、あわてふためいても仕方ないことです。今日死ぬとしても最も大事なことは何かを深く見つめ、自分が為すべきこと、大事なことを行なっていくよりほかにないわけです。
一度きりの命を、今現に生きているわけですし、与えられた命という恵みに感謝し、生かしてくれている周りの人や環境に感謝し、せっかくの恵みをできるだけ無駄にせぬよう、持前を発揮して生きていくよりありません。
哲学者・教育者である森信三(もり しんぞう)先生は、「わたくしの宗教観として一番しっくりするのは、『念々死を覚悟してはじめて真の生となる』の一語であります」と語っています。私自身も宗教のギリギリのところはここにあると思っています。森先生は、人から色紙に何か書くことを求められると、最晩年は次の一語を書きました。
「死を覚悟してこの一日を生きん」
この言葉を、毎日、いや時々刻々心に新たにしていきたいと思います。この心の姿勢を失わずに生きることで、初めて真に生きる道が開けると思うからです。