釋宗演禅師のこころシリーズ〔13〕
(出典:書き下ろし)
年末の大掃除、一年の汚れを落とす大切な行事です。普段できていない部分を掃除して新年を迎えるために一所懸命に掃除致します。
私が預かっている小さなお寺でも寺族一同が集まって掃除をいたします。しかし、昨年は日程の調整が上手くいかず、多くの人が集まって一斉に、という形にはいきませんでした。
少し困ってしまって何とか一日で終わらせよう!と考えていた矢先、場所と日程をこまめに分けて行なおう、という他の声が上がり、無理なく丁寧に各場所の掃除ができて新年を迎えられることとなりました。
掃除をする中で「至誠(しせい)」という言葉に触れた時のことを思い出しました。「至誠」とは、この上なく誠実なこと、まごころを表わします。この言葉は釋宗演老師の著書『禅海一瀾講話』の第四十二講、第十五則に出てきます。『禅海一瀾講話』とは釋宗演老師の師匠である今北洪川(いまきたこうせん)老師の『禅海一瀾』を講義されたものです。宗演老師は洪川老師を一言で表わすと「至誠の人」と語られています。私がこの「至誠」という言葉を聞いたのは臨済会主催の「禅をならう集い」に参加し、現円覚寺派管長猊下、横田南嶺老師に提唱いただいた時でした。
様々なご縁を持って我々は生きていて、生きている中でまごころの中にいる事に気付ければ一人で力みすぎる事無く、無理のない精進努力ができるのではないか。という教えが印象的でした。
ではまごころとはどの様なものでしょう?
辞書を引くと他人のために尽くそうという純粋な気持ち、偽りや飾りのない心と言われています。
釋宗演老師の半生を描いた『ZEN 釋宗演』という漫画があります。そのなかにこの様なお話があります。
若き雲水であった釋宗演老師は円覚寺の前で、死んだ犬を抱えた幼い兄弟と出会います。そこで、共に穴を掘って、犬のお墓を作って弔ってやろうとします。その時、一人の僧侶が現われ、門前ではいかんと、寺の境内の中に一緒に犬の墓を共に作ります。その僧侶が後に師となる当時の円覚寺派管長の今北洪川老師でした。
このお話がとても好きで、まごころとは何か、伝えてくれているような気がいたします。幼い兄弟は死んだ犬を思いやり、お墓を作り、宗演老師は素直な気持ちで共に弔い、洪川老師も素直な心でそれを手伝う。どなたも他者に対して無理しているこころが無いのです。
自分のできうる範囲を無理せず全うすることが、まごころと共にある生き方となるのではないでしょうか?
私は大掃除を進める中で、無理なく丁寧に行なう方法を提案して貰い、「至誠」を感じました。我々はまごころの中に居る。そう思うと、何となく毎日が過ごしやすくなる気がいたします。
皆さまにも「至誠」が感じられる日々となりますように。