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大用国師のこころシリーズ〔6〕

(出典:書き下ろし)

 奈良県葛城市南今市という所に本朝二十四孝の一人として知られる伊麻を称えた孝子(こうし)の碑があります。
 伊麻は、江戸時代に実在した女性です。家が貧しい上に幼くして母を失いましたが、よく働き親につかえて孝養をつくし、父の喜ぶ顔を見ては唯一の楽しみとしていました。
 ある年の夏、疫病が流行り多くの人が亡くなりました。伊麻の父も疫病にかかり、危篤におちいりました。この時、鰻を食べれば治るとある人から聞いて、川をくまなく探しましたが、鰻を得ることができませんでした。
 その夜のこと、台所の水瓶の中で水の跳ねる音がしたので、灯を手にあやしんで水瓶の中を覗いてみると、大きな鰻が躍っていました。伊麻は、大いによろこび、調理して父にすすめたところ、不思議にも父の病はみるみるうちに治りました。
 これを聞いた村人たちも、その残りの鰻をもらって食べ多くの人が助かりました。人びとは、伊麻の孝心(親孝行をしようとする心)が天に通じたのだと感心しました。
 この話が世に広まり、俳人の松尾芭蕉もわざわざ伊麻に会いに訪れて、その孝心を称賛しました。
 やがて、父が亡くなった後、伊麻は供養のために尼僧となり、81歳まで長生きしたということです。
  
 鎌倉の円覚寺を復興した、大用国師(誠拙周樗禅師)も、とても孝心の深い方でした。父母の菩提を弔うために『金剛経』や『観音経』を写経するのを常としておられました。伊麻の碑を訪れた時には

  いにしへの 親につかへし 人の名を 今につたへて くむなかれかな

と歌を詠まれています。
 禅師は、父母に孝養を務めた昔の人の名前をどうか今に伝えてくださいとおっしゃっています。
 
rengo_1809a.jpg 9月23日はお彼岸のお中日です。この秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」です。   
 誠拙禅師は、厳しい禅の修行を極めた高僧ですが、とても慈愛の深い方でした。
 禅師の隠居された、横浜の玉泉寺には「天真自性居士・心光浄安大姉」と自書したご両親のお位牌が今もおまつりされています。
  禅師の教えだけでなく、そのお心も受け継いでまいりたいと思います。

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