尊厳なる命 ~生かされて今ある命~
(出典:書き下ろし)
我々はご縁あって両親の下に生を受け、数多の命と係わり、その命を頂戴して今日の生活が成り立っています。
地球上に存在する全生命は、約175万種といわれ、哺乳類が約6,000種、鳥類が約9,000種、昆虫が約95万種、植物(葉や葉脈のある植物)が約27万種、これで約123万5,000種。その他両生類、魚貝類等の水生生物を加えれば約175万~200万種以上かもしれません。更に、微生物や菌類等を加えると3,000万種ともいわれます。
ある時、お釈迦様は爪に土をのせ、弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)に尋ねました。
「大地の土と爪の上の土、何れが多いと思うか」
阿難尊者は
「世尊、大地の土の方が多く御座います」
と答えました。するとお釈迦様は
「阿難よ、その通りである」
と仰られました。生けとし生けるものは大地の土ほど多いが、人として生を受けるのは爪の土ほどでしかないのです。
私は平成9年に神戸の修行道場へ入門しました。当時の神戸はいまだ震災の傷跡深く、市内各所に仮設住宅が立ち並び、少しずつ復興に向け整備されている頃でした。
道場の先輩から震災のことを伺いますと、震災当日は夏末大摂心(げまつおおぜっしん)という一年の締め括りの時期で、朝7時からの師匠による禅語録のお話を聴く準備の最中でした。
突然、大地は大きく揺れ、壁は剥がれ落ち、建物は傾き、お寺の山門も崩れ落ちました。薄暗がりのなか慌てて外に出ると、各地で煙が上がり、やがて火の手も上がり瞬く間に街が赤く染まったそうです。その後、被害の大きさが徐々にわかり、檀家さんの訃報連絡が入り始めました。
震災後、道場での生活は一変し、先輩方は朝の坐禅とお勤めの後、数人ずつに分かれ檀家さん宅や、近くの家の瓦礫撤去、避難所への炊き出し、避難所の掃除など朝から晩までボランティアに出掛けたそうです。
そんな中、殿司寮(でんすりょう)というお参りを専門に担当する先輩は皆ながボランティアに出掛ける中、亡くなった檀家さん宅へお参りに行くためにお寺に残り、電話が鳴るたびに檀家さん宅とお寺を往復する日々だったそうです。皆なが避難所で汗を流す間、自分はただ檀家さんからの訃報連絡を待っている。今すぐにでも皆なと同じように被災者の救済に行きたいのに、訃報の連絡がないと動けない、動くことができない自分の立場が一番辛かったと話されていました。
お釈迦様が説かれた「法句経」(友松円諦訳)に
「人の生(しょう)をうくるはかたく やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるはありがたし 正法(みのり)を耳にするはかたく 諸仏(みほとけ)の世に出づるも ありがたし」
という一節があります。人として生を受けることは誠に得難いことだ。生まれたからにはいずれ死ぬ無常の命ではあるが、今、生かされていることは有難い。優れた教えを聴くことも得難いのに、諸仏の在世に出会えることはさらに有難いことです。
この世界には、人類以外に多くの命が存在し、その多くの命に生かされた命を頂戴しているからこそ日々の生活があります。そして、自分一人だけで生きていけるものは存在しません。我々は多くの動植物の大いなる命によって生かされている、支えられている。生きていたくても、病気や怪我・天変地異等でその命を奪われてしまう。折角ご縁あって数多く存在する命の中で、この世に人として生を受けた以上は、自分を支えてくれる多くの命に感謝して驕(おご)ることなく、またその命を粗末にすることなく「ありがとう」と感謝しながら生活をしていただきたいと思います。