大用国師のこころシリーズ〔4〕
(出典:書き下ろし)
思い掛けず、宇和島市内にある茶道具店に掛けられていた誠拙和尚の「達磨図画賛」の掛け軸が手に入った。
二百年遠諱を控え、この僥倖(ぎょうこう)が円覚寺との小さな縁を結んでくれた偶然に、日々感謝の念に満たされている。気が向くと墨蹟の前に坐し、遠い時間の流れの中に誠拙和尚を心象しているのである。
和尚の人柄や境界を物語る逸話は多く、その一つを尋ねてみる。
誠拙和尚は伊予宇和島の人で、3歳で父を亡くし、7歳で宇和島藩主伊達候の菩提寺である佛海寺に預けられる。13歳の時、藩主伊達候が佛海寺を訪ね、住職と閑談の末、誠拙小僧に肩をたたかせながら、
「小僧、そのほうの打ち方はなかなかよく効くぞ。今度江戸から帰る時は、いい法衣を買ってきてやろう」
と約束した。その後、参勤交代から帰った候は、また佛海寺に来て住職と語り、例によって誠拙小僧に肩たたきを命じた。すると誠拙は、
「お殿様はこの前、江戸から帰る時は、きっといい法衣を買ってきてくださると約束されましたが、法衣はどうなりましたか」
と肩をたたきながらたずねました。すると候は、
「おお、そうであったな。すっかり忘れておったわ」
と答えた。これを聞いた誠拙小僧は大いに怒って、
「嘘つきめ!武士に似合わぬ二枚舌だ」
と思い切り候の頭を殴って行ってしまった。
驚いたのは師匠の住職である。殿様の頭を殴ったのだから、その場でお手討ちになってもいたしかたのないところだ。しかし、候は怒るどころか、にこにこ笑って、
「いやいや、なかなか見どころのある小僧じゃ。この宇和島で予の頭に手をあげるのはこの小僧だけだ。和尚、これからも目をかけてやれ。末頼もしいやつじゃ」
実に痛快で溌剌(はつらつ)とした、誠拙和尚の天性が面目躍如たる話である。
多年刻苦精励して仏道を究め、円覚寺僧堂を建立し、ご開山仏光国師の再来なりと称せられたのである。
昨年、佛海寺閑栖和尚の密葬において、横田南嶺現管長からの弔電が披露された。以前、佛海寺で誠拙和尚の話を聴かれたときの感謝のお言葉であった。それは参列者の心の琴線に触れ、誠拙和尚から二百年の時を超える閑栖和尚への意志の伝播であったと観じている。
ご遠諱を前に、誠拙和尚の痛快で溌剌とした仏法を「法即以心伝心、法即以語伝心」と戴き、小さな縁の延長を祈るのである。