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大用国師のこころシリーズ〔3〕

(出典:書き下ろし)

rengo_1806b.jpg ダルマさんこと達磨大師が、インドから3年かけて中国へ渡ってこられた時のことです。時の梁の武帝は自ら大師をお迎えになり、都の金陵の宮殿に招き、さっそく質問します。古来からの道教を捨て仏教信者となった武帝は、自他共に認める篤い信仰をもった人でした。
 「私は多くの寺を建てたり、写経をしたり、お坊さんを養成したりと、仏教のために尽くしてきた功績は計り知れません。莫大なお金を使いました。私はどれほどの功徳が得られましょうか」と。
 大師は一言、「無功徳(功徳なし)」の三字でした。あまりにもそっけなく「無功徳」といわれて呆然とする武帝を残して、達磨大師は揚子江を渡り、北へと去って行かれました。

 また江戸時代の末期、日本の高僧で、鎌倉円覚寺の誠拙禅師(大用国師)にもこんな逸話が残されています。
 ある時、円覚寺で山門改築のため、募財をしたところ誠拙禅師の信者であった深川のある材木商が五百両の金を懐にして、誠拙禅師に「わずかですが、五百両を寄進させていただきます」と申し出ました。ところが誠拙禅師は「ああ、そうかい」と気のない返事をしただけでした。
 深川の材木商は、「これはきっと”五百両”が聞こえなかったのだ」と思って、再度、「”五百両”を寄進させていただきます」と言いました。しかし、それでも禅師は「ああ、そうかい」と言っただけで「ありがとう」とも言わなかったのです。
 たまりかねた深川の材木商は、「禅師にとっては、この程度の金と思われるかもしれませんが、私にとっては大変な思いをした寄進です。しかるに禅師は一言のお礼もくださらぬとはいかがなものか」。すると誠拙禅師は「馬鹿者」と一喝されたという逸話です。

 達磨大師・誠拙禅師に言わせれば、功徳欲しさに、お礼を目当てにするならば、せっかくの善行をフイにするばかりか、マイナスにしてしまう。エゴ心を満たす行為の醜さを「無功徳・馬鹿者」と戒めているのではないでしょうか。
 誰にも知られずに功徳を積む、いわゆる陰徳を積むということです。ともすると見返りを求める私たちです。「無功徳・馬鹿者」の真意を今一度、噛みしめて味わってください。

  いかほどの 施しをしても 恩にきせれば おかげなし

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