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釋宗演禅師のこころシリーズ〔4〕

(出典:書き下ろし)

rengo_1804b.jpg 天龍寺庫裏(くり)玄関には、前管長平田精耕老師の描かれた大きな菩提達磨(ぼだいだるま)の絵を掲げております。毎朝本山に出勤して玄関を入ると、この絵が、お前の事はすべて見透かしているぞと言わんばかりです。やはり、観光客の人たちも入口を上がると、そこでじっくりと眺めたり、一緒に写真を撮ったりして、朱色の達磨と共に時を過ごします。

 菩提達磨といえば、お釈迦さまから数えて28代目にあたり、インドから中国に禅を伝えた人として広く知られ、禅宗の初祖といわれております。菩提達磨は中国に着くと、梁の武帝に会います。武帝は達磨に「寺を建て、僧を育て、仏教にこれほど貢献している私に、どれほどの功徳があるのか」と聞きます。こんな武帝の横柄な態度には、達磨も絶望したのではないでしょうか。それは達磨が武帝に言い放った「廓然無聖」(がらんとして聖なるものなど何もない)という言葉にも表われています。本来の禅とは、謙虚に慈悲心と菩提心をもって自らを律して生きる宗教で、陰徳を積むことこそ大切なのです。

 先日、アメリカはシカゴに行ってまいりました。私自身シカゴに降り立つのは何年ぶりでしょうか。最後にシカゴに来たのは、ただ乗り換えで空港に降りて、大きな空港の中を次の飛行機に乗るために、500m近く走ったのを覚えているだけです。そんなシカゴに降り立って、ホテルのあるダウンタウンに地下鉄で向かいました。初めての場所で公共交通機関に乗るのは、不安でいっぱいですが嬉しくもあり、初めて乗る地下鉄の車窓からの風景にはワクワクしました。地下鉄の中は人種のるつぼです。聞いたこともないような言葉で話す人がたくさん乗ってきたり、降りたりして本当にここがアメリカだとは考えられないほどでした。ダウンタウンに着いてホテルに向かうまでも、多くの観光客や街の人たちに会いましたが、西海岸とはまったく違った雰囲気です。歴史的にも西海岸より80年以上も前からあった街で、アメリカに編入される1783年以前から入植者が入り、栄えていた街です。
 実はこのシカゴでは1893年に万国博覧会が開催され、その中での世界宗教者会議に、日本から3名の代表団がシカゴ入りし、仏教についての講演をしました。中でもアメリカ人が一番興味を持ったのが、鎌倉円覚寺派管長、釈宗演老師の講演です。釈宗演老師は日本の禅について大いに語り、それに興味を持った出版社からの依頼で、4年後には鈴木大拙氏が海を渡ります。アメリカに渡った鈴木大拙氏は各地で講演を行ない、数々の本を翻訳し、その後30数年に渡って禅をアメリカやヨーロッパに布教伝道していったのです。その時のご縁がなければ、これほど欧米に禅は拡がっていなかったでしょう。
 シカゴの地に降り立った日本代表団が、当時の最先端技術を駆使して造られた多くのビルを見上げながら、度肝を抜かれたことは容易に想像できます。大きな白人に囲まれて釈宗演老師はいかに堂々と自分の考えを主張し、日本の禅というものを欧米の人々に知らしめたのか。その講演で感銘を与え、その後鈴木大拙氏を送り込むことになったのか。シカゴから欧米への禅の伝道が始まったことを考えると、同じ街に降り立った私は身震いするほどの感動を覚えました。

 禅は、菩提達磨がインドから中国に伝え、その後多くの日本からの留学僧や中国僧が荒波を渡り、血のにじむような苦労をして、日本へ伝わりました。それは何の見返りを求めるものではなく、禅の正法をきちんとした形で後世に残すための布教伝道です。禅の本質とは一人一人が何のために生まれ、何のために生きているかを知って、慈悲心、菩提心を持って、自らを律して生きていくことです。
 今や仏教はアメリカを始めヨーロッパにまで広がり、仏教とはゆうに300万人を超え、坐禅をする欧米人はその3倍とも4倍とも言われております。
 このようにアジアだけではなく、世界中の人々が惹きつけられ、自らを奮い立たせる魅力が禅にはあるのです。

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