釋宗演禅師のこころシリーズ〔1〕
(出典:書き下ろし)
今日、米国における禅道場数は臨済宗曹洞宗あわせて200ヶ所を超える。駒澤大学教授、石井清純先生によれば米国の仏教徒数は300万人で、仏教の影響を受けた人は2500万人。禅は彼らにとって自己の可能性を最大限に認める教えとして魅力なのだそうだ。
米国だけではない、中南米からヨーロッパ各地にも多くの禅道場があり、多くの信者や出家者たちが坐禅や作務に励んでいる。そのきっかけとなったのは釋宗演禅師の米国布教であるといって間違いない。禅師は福沢諭吉の勧めで、1892年にシカゴで開催された万国宗教大会に出席され、それに際し禅師は自らの思いを込めて次の偈を作られた。
釈尊孔聖及耶蘇 釈尊孔聖(孔子)耶蘇(キリスト)に及ぶ。
大海胸量絶有無 大海の胸量(人格)は有無を絶す。
一堂把手識何事 一堂、手をとって何の事をしらん。
笑殺人間小丈夫 人間(世間)の小丈夫(ちいさい者)を笑殺せん。
(出典:『万国宗教大会一覧』釈宗演 p.117)
1906年、禅師は鈴木大拙(1870~1966)を通訳に伴ない渡米する。これより禅師の米国における禅指導が始まった。その後、鈴木大拙博士のコロンビア大学での禅講座があり、博士の紹介で柴山全慶老師(1894~1974)の米国布教に繋がった。今日、欧米の宗教関係者で鈴木大拙博士と柴山全慶老師の名を知らない人はいない。その元をたどれば釋宗演禅師の種まきがあればこそである。
曹洞宗でも同時期に米国布教がなされた。1903年より同胞慰問使が米国派遣され、1913年にはホノルルに正法寺が創建された。1959年に鈴木俊隆師がサンフランシスコに桑港寺を開いたことはよく知られている。
最後に『釈宗演全集』(昭和4年)「禅師逸話」の中から沼津の東方寺住職、天岫接三師が禅師の人柄について述べておられるのでここに紹介する。禅師の百年遠諱にあたり私たちへの訓戒としたい。
一 決して他を誹謗しなかった事。
一 講演などの場合よく前講者の論説を聴取せられた事。
一 他に向かって寄付や喜捨等を請わなかった事。
一 他に対して通信応酬は迅速だった事。
一 公私如何なる場合にも、言動共に紳士的であった事。
一 極めて人情に厚く同情に富んでおられ、人に接するに厳格にして且つ温和。
人をして永く忘るる能わざらしむ引力を有せられし事。
一 更に特筆すべきは、一生を通じて精力主義であった事。
※写真は、『鈴木大拙未公開書簡』(禅文化研究所刊)より、「明治39年3月30日、ナイヤガラにて。左より鈴木大拙、釋宗演、堀謙徳」。