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身近な言葉から学ぶ仏教 ~挨拶~

(出典:書き下ろし)

rengo_1802a.jpg 日本語の熟語には仏教由来のものが多くあり、そのひとつに「挨拶」があります。
 国語辞典には「人に会った時や別れる時などに取り交わす、礼にかなった動作や言葉」と書かれています。現在、行なわれている挨拶としての意味です。しかし仏教語辞典によると、本来の仏教語としての意味は「師匠が弟子の悟りを推し量る事」と書かれています。
 又、それぞれの漢字の意味を調べると「挨」は軽く押すこと、「拶」は強く迫ることです。師匠が弟子の悟りを推し量るために、弟子に軽く問題を出し、それに弟子が自分の悟りを示そうと、精一杯の力で師匠の問題に応える。つまり「挨拶」とは禅問答です。

 今も修行道場では師匠と弟子が禅問答を行なっています。勿論、私も行ないました。はっきり言って師匠の前に行きたくないなぁと思ったことは一度や二度ではありません。師匠の問いかけに生半可な答えをしてしまうとたちまち見透かされ、師匠から厳しい叱責が飛んできます。禅問答は師匠と弟子の真剣勝負なのです。問題を出す師匠も弟子を見極め、応えられるギリギリのレベルの問題を出し、それを精一杯の力で弟子が応える、こういう問答を繰り返して、師匠は弟子を深い悟りへと導くのです。
 そして私たちが普段の挨拶もきちんと行なえば、禅問答に劣らぬ仏道修行になります。状況や相手を見極め、その場に応じた言葉を出す、または自分に向けられた言葉に精一杯応えることで禅問答と同じ「挨拶」になるのです。

 私が高校生の時に通っていた英語塾の先生は挨拶を非常に重視する方でした。挨拶をしない、言葉を略す、そういうことをすると厳しく叱られました。そして叱った後は必ず「お前たちは大事な時間とお金を使って、何を学びに来ている? 英語か? 違う、人と繋がるための言葉を学びに来ているのだ。そうして学んだ言葉を使って多くの人と繋がり、縁を広げ、自分自身を大きく広げるために学んでいるのだろう。初めて教えた英語はHALLOじゃなかったか? 日本語だろうが、まずは挨拶だ。そこから人と人の縁は結ばれて、成長していくのだ。挨拶を真剣にできない者は他のことも真剣にはできないぞ!」と幾度となく挨拶の大切さを教えていただきました。

 禅問答と聞くと特殊なことで、特別な所でなければできない、自分たちの生活とは程遠いものだと感じるかもしれませんが、普段の挨拶という身近なことで同じことができるのです。

 伊万里市の圓通寺におられた森永湛堂老師はこんな句を残しておられます。

  仏縁を 結びて 春を待ちにけり

 お互いの縁を結んでこそ、春(良い結果)がやってくると諭しておられます。
 どうぞ、これからもお互いに禅問答、つまり正しい挨拶を行なって深い悟りへと進んで参りましょう。

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