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時人を待たず

(出典:書き下ろし)

 今年も残すところあと僅かとなりました。喜びの年であった人、悲しみの年であった人、悲喜交々の年の暮れを迎え、大晦日には除夜の鐘を撞いて「来年こそは」と思いを馳せる人も少なくないのではないでしょうか。

 禅語に「生死事大 無常迅速 時人を待たず 慎んで放逸なるなかれ」の語があります。世の中の移り変わりは極めて速いものです。歳月は待ってはくれません。一度限りの尊い人生を勝手気ままな日々として迂闊に送ることはできません。

myoshin1712b.jpg ところで私たちの本山妙心寺には1319年前、698年に鋳造された日本最古の名鐘、国宝の黄鐘調の梵鐘がありますが、自坊にも太平洋戦争で供出した梵鐘の代わりに昭和36年に鋳造して釣り下げた梵鐘があります。以来、祖父、父、私と引き継ぎ毎朝夏の季節には5時に、冬の季節には6時に鐘を撞いて地域に時を知らせています。
 その朝の鐘撞きを父と交代するときの出来事です。生来、正直で生真面目な性格の父は毎朝の鐘撞きを頑として欠かしたことはありませんでした。私はというと、師匠である父に甘えて我儘ばかり、お寺に生まれながらも何となくお寺が嫌で、仕方なく寺の跡を継いだ私でありました。そんな私でも住職を交代したからにはと「よし、これからしっかりお寺を守ろう」と意欲に満ちた時期でもありました。
 まずは、朝の鐘撞きからと早朝、鐘を撞こうとすると父がいつの間にかもう起きて鐘撞き堂に立っています。それではと私が父よりも先に起きて、父が来るのを待って撞くと、父はそのまま黙って帰っていくのですが、また次の朝には鐘撞き堂の前で待機しています。このようなことが何回も続くので「こちらは折角やる気を出して真面目にお勤めしようと思っているのに、子の心親知らずじゃ。もう楽をしてやれ」と私は自分に都合のいい言い訳で、朝早く起きるのを止めました。気ままな生活に戻り、元の木阿弥となりました。やはり朝は早く起きないと生活は乱れます。しかし、ある時これではいけないと思い直して、けじめとして朝の鐘撞きから始めようと父に「明日から私が鐘を撞きます」と宣言しますと、父は何も言わずに翌日から撞くことはありませんでした。

 あれから10数年、朝早く起きて毎日鐘を撞くことは大変辛いことです。時には寝忘れもしますが、それでも1日の始まり、澄み切った爽やかな空気や朝露の清らかさ、虫の鳴き声、月や星の美しさ、お天道様を拝む清々しさ、冬の寒さや冷たさ眠たさを体感しながら、50年間ただ黙々と毎日のように勤め上げてきた、父の日常に頭の下がる思いがします。昨年、遷化した父を偲び朝の鐘を「ゴーン、ゴーン」と撞くたびに正に「子に勝る親心」であったとしみじみと感じ、父に感謝し反省する日々です。

 道歌に「耳に聞き心に思い身に修せばやがて菩提に入り合いの鐘」という歌がありますが、時は待ってはくれません。「聞思修」の3つの智慧を活かし働かせ、心に鐘を鳴らし続けて残り少ない年の瀬の日々を乗り切りましょう。

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