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碧巌(へきがん:緑色のごつごつした岩)

(出典:書き下ろし)

 瀬戸内海に面した岡山県玉野市沿岸の山沿いには、大きな岩がごろごろしています。JR岡山駅から瀬戸大橋線、宇野みなと線を経由してJR宇野駅まで来ると、駅の手前の左側の小高い山の頂上付近に大きな岩がにょっきりと立っており、初めてご覧になる人はびっくりします。

 「あの岩は落ちそうですが、落ちてはきませんか?」
 「確かに見ていて怖いですよね。でも岩の根っこにはコンクリートが蒔いてあるので、  大丈夫と思いますよ。」 

と言った会話が、お客さんと地元の人の間で、よく交わされます。

 自坊の豊昌寺はJR宇野駅から歩いて20分ほどの距離です。寺の裏山にも、ご多分に漏れず、大きな岩があります。その岩の一つは地上部分が幅約10メートル、高さ約3メートルほどの大きさで、露出した面は切り立っており、長年雨水がしみこんだ影響でしょう、表面には青緑の結晶が浮いてきており、雨に濡れると、ことのほか美しく照り映えます。

 緑色の岩、碧巌に次の禅語があります。
           
  ある僧が、夾山善会(かっさんぜんね)禅師に問いかけ、それに禅師が応答されます。  (『景德伝灯録』巻15)
  問う、 「如何なるか是れ夾山の境(きょう)。」
  師曰く、「猿は子を抱いて青嶂(せいしょう)の後(しりえ)に帰り、鳥は花を啣(ふく)んで碧巌の前に落つ。」

 僧は夾山禅師の悟りの境涯を真正面から鋭く尋ねています。それに対して禅師は、目の前に見える景観を美しく描写して応答します。「(夕方になると)猿は子を抱いて青くて高く険しい山の奥に帰って行くし、鳥は花をくわえて碧巌の前にすぃーっと飛んできて舞い降りるね。」

注)「子」は木の実のことである、と柴山全慶老大師編の『禅林句集』にあります。この場合には、「猿は木の実をかか抱えて~」ということになりましょうか。さらに、『禅林句集』は禅師が応答された言葉を「本分現成の妙景」と評しています。 
 猿にしても鳥にしても、無心にして自ずからなる動きをしています。これが則ち禅師の悟りの境地なのでしょうか。

 
 6月のある週末に、嫁に行った娘が孫たちを連れて遊びに来ました。あいにく終日雨が降っていたのですが、夕方近くなると雨脚が衰えてきて日が差し始め、雨は細く長い糸のようにお天道様からまっすぐに降ってきました。お家の中での遊びに飽きた2歳の孫に促されて、私も部屋から廊下に出ました。廊下は少し肌寒く、孫をだっこしました。
 向かいのお山からは、「けきょけきょけきょけきょ ほーほけっきょ」とウグイスが鳴き始めました。孫は「ほーほけきょうが鳴いたねぇ」と言いました。私は「そうだねぇ」と答えました。
myoshin1706a.jpg しばらく雨見(雪を見る雪見も風流ですが、細い雨が降ってくる様子を見るのもいいものです)をしておりますと、ツバメが一羽飛んできて電線に止まり、「ちくちくちくちくぴーちくちく」と賑やかにさえずり始めました。孫は「お父さんツバメが来たねぇ」と言いました。私は「そうだねぇ」と答えました。その直後、ツバメは電線からぱっと飛び立ち、寺の裏山にある緑色の岩=碧巌の前をつーっと横切り、尾根を超えて飛んで行きました。と同時にもう一羽のツバメが後を追うように電線に止まったかと思うと、先程のツバメの飛行コースをなぞるようにつーっと飛んで行きました。孫は「お母さんツバメも飛んで行ったねぇ」と言いました。私は「そうだねぇ。お母さんツバメがお父さんツバメの後について飛んで行ったねぇ」と答えました。こうしてしばらく雨見を続けました。

 夾山禅師はご自身の境涯を、「猿は子を抱き青き山の奥に帰る 鳥は花をくわえて碧色の岩の前に舞い降りる」と詠じられました。そこには、天地万物は何の計らいもなくただ無心に自ずから然るべく動いているのだ、とのお示しが見て取れます。夾山禅師のお示しでは、夕方になると猿は子を抱いて山に帰って行き、鳥は花をくわえて碧巌の前に舞い降ります。私は夕方、孫を抱いて廊下にたたずみ、孫は無心に鳴くウグイスの声を聞き、無心に碧巌の前を飛んで行くツバメを見送りました。雨は細く柔らかく糸のように降り、日が差してきて空は明るくなっていき、ウグイスはさえずり、ツバメはつーっと飛んで行く。万物は無心にして自ずから然るべく動いていきます。その有様を、孫は無心にして受け止めるのでした。

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