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寂室禅師のこころシリーズ〔4〕

(出典:(『寂室元光禅師の風光』〔村上宗博 平成22年 自費出版〕より加筆して転載))

rengo1702a.jpg 寂室禅師の生き方を見ますと、そのルーツは元国で師事した中峰明本禅師にあるようです。中峰禅師こそ隠逸の禅人だったからです。中峰禅師に次のような逸話が残されています。
 中峰禅師がある所で庵を結ぶと、師の道風を慕って多くの学人が集まってきました。師はこれを拒みましたが、いよいよ多くの学人が集まってしまいます。そこで師は半夜ひそかに庵を出てしまいます。あまりの学人の多さに困って夜逃げをしたのです。これも一度や二度ではなく、三年も一ヶ所に留まることがなかったと言われています。
 中峰禅師のこのような生き方は、そのまま寂室禅師に引き継がれたのでしょう。中央政府の外護する官寺に住持することを嫌い、政治の中心地である京都や鎌倉から離れて山間に草庵を結び、そこに住む庶民と共に坐禅を修めた禅僧たちは当時「幻住派」と呼ばれていました。
 さて寂室禅師の「金蔵山の壁に書す」と題する詩を味わいましょう。

  風 飛泉を攪(みだ)して 冷声を送る
  前峰 月上って 竹窓明らかなり
  老来 殊に覚ゆ 山中の好きことを
  死して 巌根に在らば 骨また清し

〈現代語訳〉
  滝に風が当たって冷たい音を響かせている
  前の峰を見ると、月が昇っていて、竹林にあるわが庵の窓を照らしている
  老いたこの身に、山中の生活は良いものだとこの頃つくづく思う
  死んだとて、この山中に埋められるのなら、骨もまた清かろう

 禅師の詩の中でもとりわけ有名なものです。この詩の直筆が残されているということもあるのでしょう。隠遁(いんとん)の心境を楽しんでいるように見える詩ですが、私は禅師の反骨を感じるのです。具体的に言いますと、

〈起句(一行目)〉
「今まさに世は下克上である。武家は権謀術数の限りを尽くして天下を取ろうと血眼になっている。そうした世に、僧たるものまでが出世を願って種々の画策を弄している。人間本来のすばらしい命のあることに気づかずに、いたずらに我が身を傷め攪(かきみだ)して、東奔西走している。何ということだ」

〈承句(二行目)〉
「とはいえ、月の光は誰れ彼れの隔てなく、等しく一切にそそがれている。見よこの窓辺を」

〈転句(三行目)〉
「若いときは本気になって厳しく世を批判したものだ。しかし、この頃ようやくその若気が抜けてきたようだ」

〈結句(四行目)〉
「どうか私が死んでも格別な葬儀などしてくれるな。いいか、王侯貴族などを呼んではならぬぞ。葬儀が済んだらさっさと山中に埋めてしまえ。そうでなければ我等の使命である修行が攪(かきみだ)されるぞ」

 我が身が朽ちることを思うと、都から骨を分骨していただきたいと使者が来るやも知れぬ。そうなると残った弟子たちは巻き添えを食らうに違いない。わが児孫にそんなことをさせてはならぬ。
 往年の反骨精神がふと沸き起こった感慨が詩外にあふれているようです。

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