臨済禅師のこころシリーズ〔9〕
(出典:書き下ろし)
平成28年は臨済宗の宗祖、臨済禅師の1150年遠諱にあたります。そこで臨済禅師のエピソードをご紹介したいと思います。
ある時、臨済禅師が境内に松の木を植えていると、師匠の黄檗禅師が来て言いました。
「こんな山奥に松を植えて、どうするつもりか」。
臨済禅師は、
「第一には寺の境内の景観をよくするため。第二には後の修行者がこの松を見て、松を植えた私の心を感じて、自分の生き方の糧としてくれたら」。
と返答して、鍬で土を三度掘り起こしました。
そこで黄檗禅師は追い打ちをかけます。
「なるほど、そういうことか。だが境内に松など植えたところで、それがどうだというのだ」。
しかし、臨済禅師の態度は変らず、また鍬を三度振り下ろすと大きく息を吐きました。
黄檗禅師は、鍬をとって黙々と仕事に励む臨済禅師の姿を見て、
「我が宗門は、おまえの代で大いに興隆するだろう」。
と言い残されたそうです。
このエピソードから1000年以上の時を超えて、平成28年春彼岸に出雲大社の参道に一本の松が植えられました。この松は東日本大震災復興のシンボルとなった陸前高田市の「奇跡の一本松」から接ぎ木をして、大切に育てられた2本の苗木のうちの1本です。
震災前、およそ350年にわたって植林されてきた7万本の松原のうち、津波に耐えて生き残った「奇跡の一本松」。震災後に、この松を守ろうと地元の人々が立ち上がり延命作業を続けるうちに一本松の枝を拾って接ぎ木していたのです。
残念ながら一本松自体は枯死してしまいましたが、その命は小さな苗木によって受け継がれました。
出雲大社に奉納された苗木には、『アンパンマン』の生みの親として知られる故やなせたかし氏によって「ケナゲ」と名付けられました。「ケナゲ」は漢字にすると「健気」と書きます。健気とは、女性や子供などの弱い者が困難なことに立ち向かっていく様子や、その心掛けが立派であることを表わしています。
臨済禅師の松の木も、出雲大社の松の木もそこに込められたメッセージは誰に向けて発信されたものでしょうか。それは「今、ここ」に生きる私たちに対してのメッセージだと私は思います。私たちは「ケナゲ」な存在であることを自覚してこそ、大切なものが見えてくるのです。
近年、お葬式やお墓を無用とする風潮が一部でもてはやされているようですが、本当に大切なものは目で見ることはできません。でも「目から消えてしまったものは心からも消えてしまうのではないか」と臨済禅師の遠諱を機に想うところであります。